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慶應義塾大学出版会 | 論理的な考え方 伝え方 | 狩野光伸

東京大学・分子病理|狩野 光伸

研究というのは、個性的、創造的であることを要求される仕事です。その意味で、芸術と似ているところがある、と思っています。


芸術では、ある個人が個性的な直感でとらえたものごとを、時流が要求する約束事をある程度守りながら、表現します。僕は大学時代に学生オーケストラ(もちろんアマチュアです)の指揮をしていたことがあり、今でもバロックフルートを吹いたりするくらい音楽が好きなので、よく音楽と今の仕事と比較をしてしまうのですが、例えば音楽なら、直感がとらえた感情の動き、自然の風景、といったものを、その時代が許す和声や構成の中(あるいはそこから少し出たところ)で表現する、ということになるように思います。さてひとたびそのような「個性的直感」が発信されると、受け手側では、ある数の共感者が生じます。ここで面白いのは、共感者がより多いもの、つまり少なくとも同時代に「よい芸術」と目されるものは、示される世界が非常に個性的であるのに、表現技法は基本的な約束を守っている、ということです。でないと、すぐには理解されないのです。


科学も基本的に同様ではないかと感じます。まず自分の直感によって、今まで関連を誰も気がついていなかった自然界の事象同士を結んだり、これまで説明できなかった結果を説明できる仮説を考え付いたりするのが、第一段階です。これが独創的であるほどよいわけです。次にその仮説を人に納得してもらえるためのデータを、実験により集め、結果を論理的に並べます。この段階で矛盾なく構築ができれば、まず自分でもその仮説の正しさを信じることができ、そして他人に堂々と発表できるようになります。これらのステップで守るべき「約束事」は、議論の展開が論理的であること、実験結果は再現可能であること、論文を書くときは決められている構成に従うこと、などでしょうか。


まとめると、仮説とそれにより示される世界は独創的であるべきですが、その仮説を証明する際には世の約束事に従うこと、その結果その仮説をできるだけ多くの人に共有してもらえることが大事、というわけです。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20151116#1447670109
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20151113#1447411403