https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

今後生き残れる人材の条件、「本当の学力」とは何か|組織の病気〜成長を止める真犯人〜 秋山進|ダイヤモンド・オンライン

 大きな会社を想定すると、会社を牽引するキープレーヤーには大別して3種類の人材がいると思う。


 1つ目は官僚的人材で、ヒト・モノの調達と運用を正しく執り行う人。2つ目は商業的人材で、顧客満足の実現のため、商品・サービスを企画、販売する人。3つ目が研究的人材で、商品・サービスの実現、改善のために技術開発や分析を行う人だ。

 そんな研究的性質をもつ彼らがやりたいのは、まだ見えていない秩序や真実を発見することだ。これは、官僚的人材のように問題を公式にあてはめて処理することにたけている人たちにはない姿勢である。一般的に見れば、官僚的人材も研究的人材も両方とも“学力のある人”にくくられてしまうが、その賢さは全く異質のものである。

 これまでの大企業では、3つの種類の人材のなかで「官僚的人材」が一番偉く、その次は「商業的人材」、そして「研究的人材」は別枠という秩序が形成されていた。しかしこれからは、大きく変わるのではないだろうか。


 もっとも重要になるのは、洞察力のある本物の「商業的人材」の“勘”と、データの“カオス”から秩序を導き出せる「研究的人材」の強力なタッグであろう。


 商業的賢さのある人が、「こないだのお客様も同じことを言っていたな、これは新たなニーズなのではないか?」とピンと来て、技術的人材に「最近こんな傾向はない?」と聞く。そうすると、研究的人材が多様なデータを分析し、その結果から新たなニーズの可能性の高さを確率的に推測し、本格的な投資へと至るという流れである。かつてなら因襲化した上司に「そんなニーズなど在りえん」と一喝されて終わりになっていた新しい兆候が、データを扱う研究的人材とタッグを組むことで、日の目を見る可能性が飛躍的に高まる。


 逆もしかりである。研究的人材がデータから見て新たなニーズの可能性を発見した場合に、センスの良い商業的人材に働きかけることで、顧客や市場に対して効果的なアプローチが可能になり、商品サービスの実現可能性も高くなるであろう。


 一方、ヒト、モノ、金の調達と計画、管理運用をつかさどる官僚的人材はいらなくなるわけではないが、影響力はどんどん低下する。巨大な設備投資や大量の人材を動員することによって作り出される価値も重要であることには変わりないが、残念ながら、それによって作られる価値の社会的影響力は低下し続けている。そもそも、そこで必要といわれた“学力”などは、いくつかの経験則を方程式化して掛け合わせた程度の代物であり、賢いプログラムに代用されてしまうようなものなのである。


 これからは、“学力”では測れないような商業的人材のセンスと、“本当の学力”を持つ研究的人材こそが企業の中心になるだろうというのは、実は人工知能の時代において生き残れる人は誰かという問いに対する答えであるとも言える。いまのところ単に筆者の勘の域を出ないが、きっと近い将来、優秀な研究的人材たちが、各種のデータでもってこの勘を証明(あるいは間違っていることを証明)してくれるであろう。