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キャサリン・マッキノンと、ヒラリー・クリントンとモニカ・ルウィンスキ : 山口真由オフィシャルブログ

「モニカ・ルウィンスキは、『被害者』としての側面もあるのに、マスコミも誰も彼女を気遣うことなく、センセーショナルに報道し続けた。そして、夫の裏切りにあったヒラリー・クリントンは、自分の本心を吐露することなく、夫を支持するという証言をし続けることを、ある意味、強要された」


つまり、マッキノンからすると、モニカ・ルウィンスキもヒラリー・クリントンも、ある意味、同じ男性社会の支配原理の中で「被害者」としての立場を、共有していることになる。モニカとヒラリーの対立構造に、「男性:女性」という対立軸が持ち込むと、彼女達は「対立」から「協調」に関係を変えうるのである。


今回の講演でおもしろいことを聞いた。なんと、キャサリン・マッキノンとヒラリー・クリントンは、イェールの同じ学年で個人的な知り合いだというのである。今回、マッキノンは、ヒラリーについて、それ以上に踏み込んだ発言をしなかったが、ヒラリーが仮に大統領になった時に、アメリカのフェミニストたちが何を言うかは、とても興味深い。

アメリカでは、なぜ中絶が政治問題になるの? : 山口真由オフィシャルブログ

アメリカ人は、なんでも二元対立の構造として理解したがる」


これが私の感想である。「パブリック v プライバシー」、「共和党民主党」、「親の権利 v 子供の福祉」。二つの何かが対立しているという構造が、とにかく大好きなのである。

この「白黒つける」アメリカ文化に対して、日本には「グレーをグレーのまま受容する」土壌がある。


未成年のままの妊娠など中絶は「仕方のない」こととされるときがある。そして、そんな女性の悲しみを社会で共有して癒そうとする気持ちが「水子供養」の下地になっている。


胎児は「人未満、物以上の存在である」。そして、人か物かをはっきりさせなくても、大事な存在であることには変わりない。


そして、「女性の尊厳v胎児の生命」という対立構造で、この問題を理解したりしない。胎児と女性は一体であって、女性は胎児を守る存在のはずだし、胎児の痛みは女性の痛みなのである。胎児と女性の調和の中で、この問題は理解されているのである。

#二元論

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