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「ななめ読み」には消えるボールペンでアンダーラインを|通勤通学スーパー読書術|ダイヤモンド・オンライン

 本は目的によって読み方を分類できる。もちろん人それぞれの分類法はあるだろうが、35年ほど前、経済学者であり政治学者であり、社会学者でもあった多彩な知識人、小室直樹(1932−2010)が教えてくれた分類法が後々まで役に立った。1980年ごろ、小室に直接聞いた話だが、同じ時期に書物にも書き残している。


 小室によると、本によって以下のように読み分けるという。


1)熟読玩味すべき本
2)いちおうの精読で済ませる本
3)全体の中の一部だけ読む本
4)ななめ読みする本
5)目次・序文だけを読む本


 (小室直樹「古典山脈への登攀」『私の本の読み方・探し方』所収、ダイヤモンド社、1980年より)


 小室は「ななめ読み」とは言わず、英語でGlance overと言っていた。辞典を引くと、「ざっと読む。目を通す。通覧する」という意味だ。「ななめ読み」と言っても間違いではないだろう。


 小説はだいたい(1)(2)で、最初から通読・精読していくが、(3)(4)(5)はない。仕事や研究のために読む本は(1)から(5)まで、全部にわたる。たくさん本を集めると、(5)から逆順に当たっていくことになる。(1)熟読玩味すべき本はそれほど多くはないはずだ。多いのは(3)と(4)であろう。


「一部だけ読む」「ななめ読み」する本は大量にあるが、その際、ペンは持たずに気になった個所のページの端を折る。ざっと最後まで行くと、戻ってページを折った個所を見直し、今度はアンダーラインを引き、キーワードを書き込む。

 お断りしておくが、これは図書館の本ではなく、自分の本の場合だ。図書館では閲覧室にたくさん本を持ち込み、必要個所をコピーしてから、そのコピーにアンダーラインを引く。

 書き込みながらななめ読みするので、読書には筆記具が必要になる。3色ボールペンを携帯し、適当に色を変えながら線を引く。ところが、何度も読み返しているうちに線引きだらけになり、重要個所が行方不明になってしまうことがある。これではなんのためのアンダーラインかわからない。


 長い間、これが悩みの種だったが、2007年にパイロットが「こすると消える」ボールペン「フリクション」シリーズを発売して以来、本にはこの「フリクションボール」を利用している。

私は「フリクションボール」の0.7ミリを赤・青・黒と3本セット(写真)をカバンに入れている。「フリクション」にはカラーの蛍光マーカー、色鉛筆など、多種多様な製品がラインナップされているので、文房具店でご覧ください。

フリクション」がいちばん役に立つのは楽譜だろう。楽譜はかなり書き込んで使うものだが、普通のボールペンで書くと消えないので、大昔から演奏家は楽譜には鉛筆だけを使っていた。「フリクション」の登場によって、楽譜にも赤や青で書き込めるようになったのである。

 明治初期には万年筆が輸入され、丸善で発売される。しかし毛筆が主流だ。和紙に毛筆でサラサラと書くのは、早くて疲れず、気分はよかっただろうと思われる。


 明治から昭和前半の作家は鉛筆、万年筆、毛筆を使いわけていた。


谷崎潤一郎(1886−1965)は万年筆を使わず、毛筆と鉛筆で書いていた。原稿用紙は和紙と洋紙(パルプの紙)と両方作っておき、和紙では毛筆、洋紙には鉛筆で書いた。毛筆の良い点は、抵抗がないので肩が疲れないこと、執筆時に無音であることだという谷崎潤一郎「文房具漫談」1933年、『谷崎潤一郎全集』第二十巻所収、1982年による)。


 昭和の後半になると毛筆で書く習慣はなくなり、サラサラと書ける人もどんどん減っていった。

 1990年代以降は、文章はパソコンで書くことが普通になり、長文を手書きすることはほとんどなくなった。

 筆記具の役割は長文を書くことではなく、メモとアンダーラインに集約されてきた。消せないことがボールペンのいちばんの欠点だったが、「フリクション」はこの難点をも消してしまったのである。


 取材ノートなどに書くときは、「フリクションボール」は使わない。消す必要がないので、なるべく抵抗の少ないボールペンを使う。現在はゼブラの「サラサ」が気に入っている。本当にサラサラ書けるのだよ。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150420#1429526233(小室は本屋の立ち読みでこうした速読・精読術を使いこなしており、それによって知識を身につけていた。)

#文房具