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“本に書き込む読書術”を古今の読書人が勧める理由|通勤通学スーパー読書術|ダイヤモンド・オンライン

「わたしは、2Bの鉛筆で、かなりふとい線を、くろぐろと入れる。電車のなかでもどこでも、やわらかい鉛筆はつかいやすいし、こい線の色は、あとからさがすのに便利だからである。(略)線のほかに、欄外にちょっとしたメモや、見だし、感想などをかきいれるのもいいだろう。その場合も、けっきょく鉛筆がいちばんいい。(略)鉛筆というものは、読書のための不可欠の道具かもしれない」(梅棹忠夫、前掲書)。


 私は鉛筆ではなく、消すことのできるボールペン「フリクション・ボール」を使う。梅棹は本に書き込んでから、再読後にノートをつける。梅棹の「ノート」とはカードのことで、これが有名な「京大式カード」である。

「僕は来週から(明治41年帝国大学アダム・スミスの『国富論』を講義することになって居る。講義の前に、一と通りアダム・スミスの伝を話したいと思ってそれを調べかけた。スルト第一にスミスという名は、英国に沢山あることに気付く。この姓の起源を調べたくなった。サアそれから色々の書物を引張り出して見ると、暫らくの間は『国富論』なぞは忘れて仕舞ふ」(新渡戸稲造、前掲書)。


 そして次にスミスの生地スコットランドのKirkcaldy(カコーディ)という小さな町について調べ始める。スミスの父親が弁護士だったと知ると、英国の裁判所構成法を読む。こうして次々に横道へそれていく様子が描かれている。過剰に調べてどうやって整理するかというと、


「僕は一篇の論文を起草するに際しては、必ず大体の筋道を書いて置く。少なくとも頭脳にだけはそれを記して置き、岐路に入っても必ず再び帰って来る様に心懸ける。読書するに当たっても同じ注意が必要である」(新渡戸稲造、前掲書)。


 どんなに横へそれていっても、メモに筋道を書いておいて忘れないようにしておくということだ。彼は本にもかなり書き込んでいる(後述)。

「本を読んでいるときに発想が浮かぶ。ノートに書くこともあるが利用することは少ない。私の場合は、本がそのままノートがわりになる」(川添登「どっぷりとつかり込む」(『私の読書術』所収、かのう書房、1984年)。


松岡正剛(編集者・著述家1944−)は、書き込んでいくことが読書術の核心だという。


「読書によって読み手は新たな時空に入ったんだという実感をもつことです。そのことを読みながらリアルタイムに感じることです。この『リアルタイムに感じる』ということが大事です。読んでいる最中に何を感じたかも、マークしておきたい。(略)読みながらマーキングすることを勧めています。鉛筆でも赤ボールペンでも、読みながら印をつけていく。これはそうとうに、おススメです。やっていくと、マーキングが読書行為のカギを握っているという気になるはずです」松岡正剛『多読術』(ちくまプリマー新書、2009)。

「宝の山へ入って手を空しうして帰ることのないやうにするためには是非共何等かの方法を講じなければならぬ。私共は読書に際しては必ず鉛筆(なるべく色鉛筆)又は万年筆を用意しなければならぬ」(田中菊雄、前掲書)。


「ならぬ」と断言している。ただし、図書館の本に書き込むことはできないので、別に「抄録」を作っていたそうだ。


「図書館の書物とか人から借用した書物については抄録を用ひ、自分の蔵書に対してはこの書き込み法を用ひるのが最も便であると思ふ」(田中菊雄、前掲書)。

漱石は書入れを最も重んじた人である。漱石全集の決定版第十八巻にこれらの書入れが収めてある」(田中菊雄、前掲書)。

 大半は洋書への書き入れで、ていねいに自分の見解やメモを和文英文で書き込んでいる。ほんとうに大量の書き込みで、420ページを超える分量だ。本をノートと同じ役割にしていたのである。

「書き込みをするために書物の毎葉の間に紙を挿入するのも一法である。新渡戸先生は研究用にあてられたカーライルの衣服哲学をかくの如く製本し直された。その写真が研究社発行の『新渡戸先生講演 衣服哲学』の中に出ているが大いに参考になる」(田中菊雄、前掲書)。


 どういう意味かというと、カーライルの原書『衣服哲学』をバラし、書き込んだ紙を挟んで製本し直していたのである。

シュンペーターは本のページを読みながら折っていく。さらに、紙の小片にメモを書き、該当するページに挟み込んでいった。新渡戸稲造の場合は小片ではなく、本のページより大きい紙を使っていた。


 紙の小片を常用する点では、梅棹忠夫の「こざね法」と同じである。


「紙きれを用意する。(略)わたしは、規格外の紙は全部B8判(六・四センチ×九・一センチ)のサイズに裁断してしまう、ということをのべた。その紙きれを、いまつかうのである。/その紙きれに、いまの主題に関係のあることがらを、単語、句、またはみじかい文章で、一枚に一項目ずつ、かいてゆくのである。おもいつくままに、順序かまわず、どんどんかいてゆく。すでにたくわえられているカードも、きりぬき資料も、本からの知識も、つかえそうなものはすべて一ど、この紙きれにかいてみる。ひととおり、でつくしたとおもったら、その紙きれを、机の上、またはタタミの上にならべてみる。これで、その主題についてあなたの頭のなかにある素材のすべてが、さらけだされたことになる」(梅棹忠夫『知的生産の技術』)。


 この「紙きれ」を「こざね」という。発想法の原点として有名な手法だが、デジタル時代になっても有用性は変わらない。手で書く方が、絶対に覚えるからだ。


シュンペーターの紙片はオレンジ色で、やはり常に携帯していたという。本にインサートする以外にもメモとして使っていた。ハーバード大学で師事した都留重人(経済学者1912−2006)はこう書いている。


「葉書大のみかん色の紙をつねにポケットにしのばせていて、自分が講義をしているさい中でも、何か想念が浮かべば、ただちにくだんの紙をとりだし、語るのを中断することなく、独特のオーストリア式速記でノートする。(略)帰宅後、丹念にそれを整理し、将来に参考とする部分を再び書きぬいて分類していたという」(都留重人近代経済学の群像』日本経済新聞社、1964、岩波現代文庫、2006)。


シュンペーターの没後、エリザベス・ブーディ・シュンペーター夫人も1953年に急死しているが、夫人の遺言で、1955年にシュンペーターの蔵書が一橋大学へ寄贈されている。この経緯は一橋大学附属図書館「シュムペーター文庫」のホームページに記されている。


 それによると、1500以上の論文抜き刷り、170以上の雑誌、そして約3500冊の手沢本(しゅたくぼん)があるそうだ。手沢本とは、座右に置いて何度も読み、書き込んでいる本のことである。


 このシュンペーターの蔵書から例のオレンジ色の紙片が1504枚発見された。一橋大学附属図書館は紙片を抜き出して整理し、シュンペーターの速記を解読して公開している。なお、速記は「オーストリア式」ではなく、ドイツの速記法だったそうだ。


シュンペーターは本に直接書き込んでいない。ページの端を折り、速記術でメモした紙片をインサートしていった。たしかに、本に直接書き込むよりも再読の時に探しやすいだろう。シュンペーターは私の知る限り、もっとも几帳面な人である。