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Her millions of fans can’t get enough of her.

『新字源』

自由主義
近代市民社会の原理で、自己規律に基づきあらゆる非人間的な束縛からの自由を確保しようとする思想。

【自律】
実践理性がみずから普遍的な道徳法をたててこれに従う。理性以外に外的な権威や自然的な欲望に拘束されないこと。

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当時は、三月に中学を卒業して六月に入学試験だったから、その間の三カ月を、神田のニコライ堂の下にある開成中学の予備校に通った。東京の中学を卒業した学生たちは、何と利口にみえたことだろう。田舎の中学の秀才は、言葉もロクに通じない。焦燥と不安の三カ月!文字通り骨身をけずった。(我妻榮『民法案内1 私法の道しるべ』228頁〔勁草書房、2005〕)

私は、入学試験勉強としては、中学の三年からの教科書を全部極めて詳細・正確に復習することをその中心とした。受験のための参考書は、その時分にも、むろんたくさんあったが、私はほとんど見なかった。狭く深く、徹底的に理解する。これが私の一生をつうじての勉強方針といってもよいかもしれない。(前掲228頁)

私の勉強のやりかたは、前にもいったように、徹底的に理解することである。私が牧野先生の刑法の教科書を十何回読んだという伝説があるそうだが、非常な間違いである。全体を通じて一〇回も読むようなやり方は決してしない。わからないところは、二、三頁に一日も二日も考えることはある。そこをわからすために先生の他の論文を読むこともある。そして、わからないうちは、先に進まない。わかったうえで、サブノートを作る。そういうやり方で終わりまで一度読めば、あとはサブノートを主にしてせいぜい二度も繰り返せば十分である。(前掲238頁)

私は、現在、外国の本を読んで論文を作るときにも、大体こういうやり方をする。すなわち、主要な参考書をまず徹底的に理解する。それから、それを中心にして、関連する他の参考書に手を拡げる。その手を拡げる広さと深さとは、問題にもより、場合にもよる。しかし、とにかく、狭くとも深くというのが私のモットーである。(前掲238頁)

一段跳びだと東京にある大学は、東京の高等学校を卒業した気の利いたやつが、大部分を占めることになります。田舎の者は大器晩成ですよ。戦後の学制改革の欠点がそこにあると私は思っているんです。入学試験ではうまくいかんけれども、七十才になっても止めないで、倒れるまで仕事をして行こうなんていう馬鹿正直なやつは、田舎でなければ育たない。そういう人を、東京大学に学ばせるチャンスというのはだんだん減って行くんです。私は悲しんでおります。(『我妻榮講演集 母校愛の熱弁』49頁〔財団法人自頼奨学財団理事会、2000〕)

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レーニンはいつも逃げ回るような生活をしていたため、主に図書館で借りて読んだ本の抜き書きをノートに写し、コメントを加えました。重要な部分を強調して、自分の意見を付記するとともに、「機知に富んでいる」「弱い」などの判断をしています。必要な時にはいつでもノートさえあれば、本の内容を復元できるように工夫されていました。

 「なるべく原文に忠実な要約をつくるために、彼のノートは読んだ本の本文からの引用が多い。レーニン自身の書いた地の文から、引用文が区別され浮き出されるようになっていて、なるたけ引用文自身に語らせるよう工夫していることがわかる」

 「筆者の思想を十分正確に把握したうえで、自分の考えをつきあわせていくという対話的進行の形式をこのノートはもっている」

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トーマス・カーライルよ、汝は愚人である、汝の書いた『革命史』はソンナに貴いものではない、第一に貴いのは汝が艱難に忍んでそうしてふたたび筆を執ってそれを書き直すことである、それが汝の本当にエライところである、実にそのことについて失望するような人間が書いた『革命史』を社会に出しても役に立たぬ、それゆえにモウ一度書き直せ」といって自分で自分を鼓舞して、ふたたび筆を執って書いた。

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しかし、中村先生も、戦後間もなく編纂を始め二十年余を費やしてようやく脱稿した『仏教語大辞典』の原稿が出版社の過失でなくなってしまった、ということがあったでしょう。

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中村が20年かけ1人で執筆していた『佛教語大辞典』が完成間近になった時、ある出版社が原稿を紛失してしまった。中村は「怒ったら原稿が見付かるわけでもないでしょう」と怒りもせず、翌日から再び最初から書き直して8年かけて完結させ、別の出版社(東京書籍)から全3巻で刊行。完成版は4万5000項目の大辞典であり、改訂版である『広説佛教語大辞典』では更に8000項目が追加され、没後全4巻が刊行がされた。校正や索引作成に協力した者がいるとは言え、基本的に1人で執筆した文献としては膨大なものである。

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塙保己一群書類従の版木を製作させる際、なるべく20字×20行の400字詰に統一させた。これが今日、原稿用紙の基本様式となっている。

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 そして、彼は発願の『群書類従』という叢書を完成します。この叢書はわが国の古文書や昔の書物を集めて校訂(定本と他の伝本と比較訂正すること)を加え、正編五百三十巻、続編一千巻を超える膨大なもので、日本の国学研究に大きな貢献をしました。
 塙保己一は、盲目であるから、心経をはじめ、古い書物も人に読んでもらって耳で聴き、暗記するとともにこころで深く思索したのです。ゆえに私は「保己一は耳で読んだ」と申したいのです。普通、本を読み終わるのを「読破」といいますが、彼の場合は「聞き破」ったというべきでしょう。このように、口でなく耳で読み、こころで深く思考する看経(かんきん)により、彼は澄みきった『こころの眼』を開くことができたのです。
 ある雪の日、彼は平河天満宮へ参詣に出かけました。折り悪しく、高下駄の鼻緒が切れたので、境内の『前川』という版木屋(出版業者)の店の者に、ヒモでもいただきたいと頼みました。店の者は無言でヒモを彼の前にほうり出しました。盲目の彼が、ようやく手さぐりで探しあて、鼻緒をたてるそのしぐさがおもしろいと、店の者たちが手をたたいて笑うので、彼はいたたまれず、顔を赤らめてすごすごとはだしで帰りました。
 やがて、苦心の『群書類従』が完成して出版するにあたり、彼は幕府にこの『前川』を「版元」に推薦したのです。何も知らぬ主人が、保己一に推挙の礼をいうと、保己一は、「私の今日あるのは、あのとき受けた軽蔑に発奮したのが動機であるから、私のほうがお礼を申しのべたい」と、見えぬ目に深いよろこびを浮かべて語ったということです。

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 まさに、教授のいわれる通り。アメリカでは、判決を中心に、学生と教授とで、いきなり議論してゆくのだから、暗記をするな、とか、理解せよ、などという必要はない。理解するよりほかにしようのない教えかたをしているわけである。
 法律の教えかたも、学びかたも、そうあるべきだと思う。しかし、わが国の制度の下では、そうしたやりかたをすることはできない。

 しかし、その前に、民法に限らず、すべて法律を学ぶときに心得ておかなければならないことをひと通り説明しておく必要がある。それは、しかし、極めて簡単なことである。法律を学ぶには、暗記してはだめだ、理解しなければならない、というだけのことである。
 これは、どの先生も諸君に注意することだと思うが、諸君には案外通じない。暗記してはだめだ、理解しなければならない、という意味がよくわからないからだと思う。そこでまず、理解するとはどういうことか、なぜ理解する必要があるのか、という点について説明することにしよう。

一高時代には、それほど親しくはなかった。私が首席で入学し、彼はビリから三番で入学したから、というためではない。

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 学校のことをいうと、祖父がときどき話してくれた話があります。
「いくつになっても試験というのは嫌なもんだねえ。どんなに勉強しても心配でね。もうこれで充分というところがないからね」
 これは、祖父の率直な気持ちだったようです。
「おぢいちゃまでもそんなことを考えるのか」
と子供心に思ったことを覚えています。
「入学試験の合格発表の時も嫌だったねえ。一緒に見に行った奴の方が、先に自分の名前を見つけてね。自信がなかったから最後の方から捜していったんだ。これがなかなかなくてねえ。友達の名前はあるのに……。諦めかけてたらあったんだ。一番先頭に。昔の合格発表は成績順だから、おぢいちゃんは一番だったというわけだ」
 これは一高の入学試験の時のことだったようです。

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