https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

漢詩「寧楽懐古」(七言律詩): 玄齋の書庫(引っ越し先)

切迫(せつぱく)する如今(じよこん) 昔(むかし)を懷(おも)ふこと急(きふ)に
辛酸(しんさん) 舊(きう)に依(よ)りて身(み)を省(かへり)みること遲(おそ)し


繩(なは)を結(むす)ぶ千古(せんこ) 虛心(きよしん)の者(もの)
句(く)を練(ね)る七言(しちごん) 刪節(さんせつ)の詩(し)


厚志(かうし)の重華(ちようくわ) 天帝(てんてい) 動(うご)き
勤勞(きんらう)の文命(ぶんめい) 水災(すいさい) 治(をさ)む


勳功(くんこう)の斷片(だんぺん) 新(あら)たに識(し)ること稀(まれ)なり
險道(けんだう) 心(こころ)を安(やす)んずる先聖(せんせい)の詞(ことば)

※縄(繩)(なわ(なは))を結(むす)ぶ:「文字のなかったころ、縄をいろいろに結んで、意思を伝達したこと。」(『新字源』P777)とあります。これは『易経(えききょう)』の「繋辞伝(けいじでん)下」の第二章にある言葉で、「大昔は官職を未だ設けず、人が自分で治めている状態で、その自分の命令(自分の為すべきこと)を記すだけなのです。ですから、縄を結んで印とすることが出来るのです。」(『子夏易伝(しかえきでん)』(孔子(こうし)の門人の子夏(しか)による注釈)(このブログの『読老子』第七十九章より)とあります。

 大昔のことを思い起こす、そのことだけでも気分がわくわくします。そしてその大昔の聖人達の言葉というものは、『論語』の「子張(しちょう)第十九」の「切問近思(せつもんきんし)」という言葉の通り、今の時代の私たちの身の回りに照らして考えたり、日々の生活の反省をその聖人達の言葉を元に行ったりすることで、今の時代に合った活きた道理として理解出来て来る、それが心を安らかにする元となる、ということです。


 「寧楽(ねいらく)」は以下の付録にもあります通り、明君(めいくん:賢い君主)が賢人(けんじん:聖人に次いで徳のある人)を臣下として使い、功績に応じて爵位や恩賞を惜しみなく与える、そして賢人(けんじん)はそんな明君(めいくん)に全力で仕え、良いことがあればそれは明君(めいくん)に帰するようにして、それを元に明君(めいくん)が安んじ楽しむことが出来る、というのが本来の意味なのです。こんな世の中が今の民主主義の世の中にも今に合った形で現れてくると良いなと思います。

つまりは、昔の知恵と徳に優れた帝王の政治を行う様子はこのようであったのです。

『読老子』第七十九章: 玄齋の書庫(引っ越し先)

善人が悪人に怨まれるのを救うのに無理に和睦すると、その時は収まっても、蓄え留まった怨みが暴発して、他日に悪人が怨みを晴らすことになることと、


そうした恨みを持たれないために、『韓非子(かんぴし)』の参伍(さんご)の例のように、人に思う存分語らせて個別に意見を聴き取り、その多くの意見を元にそれぞれの意見を突き合わせて物事の真相に迫り、それを元に恩賞を与えるべき人には恩賞を与え、刑罰を加えるべき人には刑罰を加え、恩賞の条件に合わないからといって相手に更に求めて恩賞を渋ったり、人によって刑罰を緩めるなどという私情を挟んだりしないことが大切になり、私情を挟まずに適切な賞罰が行われるために、誰もが納得し、怨みを残すことが無いということと、


悪人が「道(みち)」に従って悪事を行うことが無いように、つまり悪人同士の何ほどかの正義によって、協調行動で大きな悪い物事を成し遂げてしまうことが無いように、小さな悪い物事の段階で区別して明らかにしていくことで、その小さな悪い物事が積み重なって大きな悪い物事になるのを防ぐ必要がある、ということです。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160823#1471948523
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160822#1471862867
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160817#1471431087

株式会社KADOKAWAオフィシャルサイト|新字源 改訂版
◆【4】漢籍・漢文に役立つ字書…新字源・字統・康熙字典・古語辞典◆: IKAEBITAKOSUIKA

 なお、我国の漢和辞典の標準となった簡野道明著『字源』にちなんで『新字源』と名付けた、と著者前書きに書かれている。

KO字源

角川『字源』のXML版です。

【寧樂】 ネイラク 


○心を安んじたのしむ。易經、疏「此是──之時」○ ナラ 國 地名、奈良に同じ。