積木の城は一つブロックが抜けるとそこからとたんに脆弱になる。論理科学も構築的な芸術も全く同じことが当てはまり、基礎が不足している所から先は決して伸びない。理論を理解しないまま組まれたソフトウエアの計算を信用できないのはブラックボックスでやってるから。同じ事は何にでも言えるでしょう
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2017年3月7日
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170306#1488797574(応仁の乱)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170306#1488797575(資本主義の精神)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170306#1488797576(公序説)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170306#1488797579(新自由主義)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170109#1483958249(基礎付主義)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150505#1430822756(論理学)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141207#1417949013(言い換えれば,それ以上の内部構造をもたない原子のようなものと見なす.)
#勉強法
公の秩序は国家および社会の一般的利益を、善良の風俗は社会の一般的倫理をそれぞれ意味する。しかし両者は一体的に扱われるべきであり、両者を厳密に区別する実益はないとされている。
民法は私的自治の原則を採用しており、私人の生活においてはその自由が尊重される。具体的には、法律行為はその当事者の意図した通りの効果が認められる法律行為自由の原則が挙げられる。しかしながら、法律行為の自由を無制限に認めると、公の秩序や善良の風俗が害されるおそれがある。このため民法は90条において、公序良俗に反する事項を目的とする法律行為を無効としたのである。
なお、民法90条は一般的・概括的に公序良俗に反する法律行為を無効とする規定であるが、民法にはこの他にも、公の秩序を具体化した規定としての強行規定が多数おかれている。
P207
しかるに、現在においては、すべての法律関係は、公序良俗によって支配されるべきであり、公序良俗は、法律の全体系を支配する理念と考えられる。すなわち、権利の行使と義務の履行が信義誠実の原則に従うべしというのも、自力救済の限界が定められるのも、法律行為の解釈について条理が作用するのも、結局においては、公の秩序・善良の風俗という理念の具体的な適用に他ならない。
かようにして、第九〇条は、個人意思の自治に対する例外的制限を規定したものではなく、法律の全体系を支配する理念がたまたまその片鱗をここに示したに過ぎない、と考えられるようになっている。
日本国憲法の哲学と戦後人権論のプロブレマティック – 人権理論の最前線へ
日本国憲法制定後初めて体系的な「基本的人権」論を展開したのは、憲法・公法学者ではなく、民法学者我妻栄であった。宮沢はその「基本的人権」論の枠組みをほとんどこの我妻から継承している。この事実は戦前日本憲法学がいかに立憲主義の内実を欠くものであったかを象徴的に物語るものである。権力の組織という客観的秩序を論ずることに慣れていた国法学者ではなく、日常的に人々の権利義務関係から法を論ぜざるをえなかった私法学者が日本初の体系的人権論を打ち建てたというのは偶然ではない。
我妻は、「新憲法」は一八、一九世紀的な自由主義的個人主義を脱し、「国家と個人との融合」を前提とするものであり、自由権的基本権から生存権的基本権保障への質的発展と「『自由権的基本権』を保障するについても、既に国家的協同体理念に推移せんとする気運を示すもの」(我妻①八六頁)であるとした。
民主政では、為政者と被治者が同一である(治者と被治者の自同性)。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160924#1474713415(書いてないことはない、とまで言われる名著なんです。つまり、40年以上前に、今から起こり得るであろう問題も予測されて書いていたんでしょうね。)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20101019#1287483460
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080122#1203420789
山本敬三『公序良俗論の再構成』(有斐閣、2000年) - ゆとり学部生の読書ノート
能年玲奈さんの改名と公序良俗(民法90条)違反について - 法律事務所ミライト・パートナーズのブログ
Fujisan.co.jpの雑誌・定期購読 雑誌内検索:【我妻栄】 が判例タイムズの2005年07月01日発売号で見つかりました!
協同体といっても,我妻先生の場合には,戦前でも,別にファシズムとか何かと結びつくというよりは,むしろ農村協同体的な,非常に微温的な保守主義の感覚だと思うのです。
我妻先生は,戦後,おそらく民法学者としては唯一といっても過言ではないぐらい,日本国憲法の解釈について積極的な発言をされた方です。
我妻先生が戦前から一貫して主張しておられたのは,「権利本位の法律観から社会本位の法律観へ」という転換です。
我妻先生によると,この協同体としての国家においては,「個人と国家とが有機的に結合した個と全との関係に立つ」。そして,「個人の自由は,国家全体とともに文化の向上に尽くすべき責務
我妻先生は,まさにこうした協同体主義への転換が日本国憲法に書いてあるといわれるわけです。
我妻先生によると,「主権が国民に在り,その運用が国民の総意に基づいてなされるものとすれば,国家と個人の対立は止揚されるべきである。
CiNii 論文 - 書評 山本敬三『公序良俗論の再構成』を味わう--「公序の未来」または民主主義の再定位と民法・民法学の役割
#エマ・ワトソン が、非難相次いだノーブラ写真についてコメント 「フェミニズムの本質をはき違えてる」https://t.co/WFEkSceGWL
— ハフィントンポスト日本版 (@HuffPostJapan) 2017年3月7日
この写真が投稿されると、TwitterなどのSNS上で「体を見せ物にしながらフェミニストを名乗るのはおかしい」「偽善的だ」といった激しい反発の声が広がった。
フェミニズムとは何かということに対して多くの誤解があり、本質をはき違えている人がたくさんいることをひしひしと感じました。フェミニズムの本質は、女性に『選択肢を与える』ということなのです。
フェミニズムは、他の女性たちを叩いたりする棒のようなものではありません。フェミニズムの本質とは、自由であり、解放であり、平等なのです。私の胸とフェミニズムに、いったい何の関係があるのかわかりません。本当に混乱しています。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170303#1488537950(トム・ハンクス)
米女優ジェーン・フォンダさん、過去のレイプや性的虐待を告白 https://t.co/qcBNxbiGKa pic.twitter.com/xSxjf3Xi9C
— ロイター エンタメ (@ReutersJpEnt) 2017年3月7日
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170113#1484304527(“The lesson is we shouldn’t be fooled by good-looking Liberals,” )
#色地獄#女優ルート