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 実は、宮沢が影響されたのは、シュミットではなかった。丸山眞男であった。シュミットに影響されていた東京大学法学部の同僚・丸山眞男であった。丸山眞男は、宮沢に、「八月革命」のアイディアを授けた張本人である。宮沢は、「八月革命」説を唱える論文を、丸山の許可を得てから、自分の名前で発表したと言われる(拙著『ほんとうの憲法』第5章参照)。


 宮沢の「八月革命」論文と、日本の戦前の全体主義の特殊な精神構造を論じた丸山の出世作超国家主義の論理と心情」は、全く同時に、1946年5月に発表された。二つの論文が放った戦後日本の思想界への巨大な影響を考えると、驚くべきことだ。そして丸山のものではない憲法学者の論文のほうもまた、アイディアを出していたのが丸山だったというのは、さらに驚くべきことだ。丸山は、生涯、自分が「八月革命」のアイディアを思いついた人物であることを、自分からは口走らなかった。遠慮していたのかもしれないが、隠していたのだとも言える。


 憲法学者である宮沢が、「八月革命」説を唱え、「主権者・国民」が憲法を作ったのだ、と唱えた。政治学者である丸山が、戦前の超国家主義の政治思想的な問題構造を描き出し、これを克服することが戦後知識人の課題だ、と唱えた。憲法学者が、ポツダム宣言受諾という「革命」で「主権」を握った「国民」の意思として憲法が成立した、という「神話」を作り出した。政治学者が、とにかく戦前の復帰はあってはならない、戦後に生きる者は「自律的個人」を確立して戦前を克服しなければならない、というイデオロギーを作り出した。これが「戦後民主主義」の思想的な基本構造となった。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170817#1502966123
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http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170805#1501929446(教え子の岸信介(木曜会・興国同志会会員)と安岡正篤に大学で自らの講座の後継者として残るようにすすめたが、両者は官界に進んだ。)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170701#1498906271(これから起こる日本の2度目の立て替え)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170307#1488883167日本国憲法制定後初めて体系的な「基本的人権」論を展開したのは、憲法公法学者ではなく、民法学者我妻栄であった。宮沢はその「基本的人権」論の枠組みをほとんどこの我妻から継承している。この事実は戦前日本憲法学がいかに立憲主義の内実を欠くものであったかを象徴的に物語るものである。)

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