毎年この時期の話題として受験関係の稿を入れた。が何も受験に特化した話ではなく、メモを取ろう、手を動かそう、わからなかったら確認しよう・・・的な非常に基本的なことだけを記したもの。逆にいうと、最近の学生はノートもメモも取らずポケーと聞き流して8割スルー普通。どうなってしまったのか?
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2018年1月3日
少し前に経験したのだが、割り方進んだ内容をきちんと説明し、相槌を打っているのだが、最後の最後にひとつ質問、として、初歩の初歩が何一つわかっていないというケースがあった。がっかりせざるを得なかったが、どこでどう教育が間違ってこういう状態を作り出したのか率直に疑問を持つ。
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2018年1月3日
数学や物理は端的だが自分でノートを作らなければ何もわからない。式変形など自分自身で追わなければ納得のしようもない。でそういうのをしないできないほったらかし、で平気な神経をどこかで養われてしまっているらしい。教育制度の犠牲と思うので 個別には言わないが、これじゃ先々大変だよとも思う
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2018年1月3日
学生時代の自分がすべて完璧なんてとてもいえないけれど、出来ていないことに対しては その申し訳なさとか 遠慮その他がありました で そういうのがケロリとまったくないんですね。最近に始まったことではなく いま40より下あたりでどんどん増えた傾向と思いますが、私には生理的に全く理解不能
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2018年1月3日
鉛筆が一番頭つかいますよね キーボードははるかに落ちるけど でも使わないよりはまし。一本ゆびでスマートホンぷちぷちやってるのは ネアンデルタール人への退化に等しいと俺は思うよ・・・
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2018年1月3日
学生でも 業者の若いのでも見るんですんが 本当にポケーッと徒手して聞いている。それでも余すところなくポイントをおさえていれば立派なんですが あますところなくポイントを落としていて 使い物にならない^^;では・・・ なんか新人研修とかで おかしな指導を受けてるのかとかかんぐってしまう
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2018年1月3日
受身で電磁気学を聞くのと、黒板に尻を向けて学生120人に電磁気を半年講ずるというのとでは、準備の仕方におのずと違いが出てきます^^;
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2018年1月3日
もう中年にさしかかろうという年配でも 驚くほど基本的な所で 能力の低さを印象付けられるケースがある どうしてこれで 世の中渡ってこれたのか 不思議に思うケースもあった。どこか温室というか 仮想世界で甘く育ててもらってきたのだろう。全部丸ごと神々の黄昏を迎えるんじゃないか?
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2018年1月3日
僕がいま言う「能力の低さ」というのは、大学で教える数学がわかってないとか、そんな話では全くない。基本的な生活常識がなっていない。常に自己中心的で、ビジネスの先様にも「あなたのプライオリティは低いです」的なシグナルが平気で発せてしまう。率直に書くと地頭が悪い。苦労してないというのか
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2018年1月3日
驚くほどお寒い日常習慣とともに「資格」とかを変に重視していて、それを持っていれば厚遇は当然、みたいな勘違いをしていたりする。一度本当に路頭に迷うとか、すさまじい修羅場経験を早いうちにしておくほうが その人のためではないか と思ったりもする 何も口に出しては言わないけれどもね・・・
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2018年1月3日
出先で運悪くテレビなどついていると笑えないお笑いが目に入ってくることがある。お金払ってもいいから見えないところでやってほしい・・・
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2018年1月3日
素人芸にもなっていない 単なるたちの悪い「素人」が増えすぎていると思う。理由もわかるので ともかくテレビは勘弁してほしい気分 子供にテレビを見せれば見せるほどバカになる とは1960年代にも言われた事だが、もう比でない状態ではないかと思う
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2018年1月3日
かつては「全員集合」や「ハレンチ学園」的なものがPTAの槍玉に上がったが、「ひょうきん族」など以降の笑いに比べれば、まだよほど現場の職人意識があったように思う。正視に堪えない稚戯の多さよ・・・
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2018年1月3日
かつては「芸」そのものが問われ「志ん生の<替り目>」「談志の<芝浜>」ってなもんで人と比べられて十分耐える代物を演題に掛けた訳ですが、もうそんなことは一切問われない。いまは人そのものを知名度だ好感度だと金額に替えて、ただそこにいるだけでお金が回って落ちてゆく。腐りきって当然の土壌
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2018年1月3日
#お笑い