大学時代、寮(というか学内)に住んでた私としては、大学とは意味なくたむろしている場所で本来出会う筈のない相手と議論したり意気投合したりすることに相当の意味を持つ場所である。それが激減している気がする。大学砂漠、もっと露骨に書けば東大砂漠化と思う。昔は法学部砂漠といったが全学化した
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2017年9月2日
「法学部砂漠」とは、東大に入って1年から4年まで、単に授業の類に出席するだけで隣同士話すこともなく、バラバラで、学生らしい人間的な付き合いなど何もなく、ダブルスクーリングで司法試験準備などしつつ20前後の時間が過ぎてゆく青春土壌の砂漠化を言う。これなら大学の意味なしとして使われる
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2017年9月2日
合宿最終日の朝にお話したことをまとめておきます。修道院学校に起源を持つ大学組織は学寮で共に寝起きし食事を同じうすることが、カテキズムの骨格に照らして古くから重視され、現在のハーヴァードでもオクスフォードでもその本質は変わりませんが、日本はとある事情から学寮が解体されてしまいました
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2017年9月3日
学寮が解体された最大の理由は1968ー70年にかけての学園紛争、全共闘以降、セクトの根城になっていた福利厚生施設の根こそぎが進み、私が在学した1980年代はまだ残存していましたが着任後の2001年頃ほぼ解体完了、大学のモナド化とでもいうべき状況が21世紀頭一通り完成したと思います
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2017年9月3日
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170902#1504349251
#勉強法