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テキスト - Wikipedia

renaissanceの意味 - 英和辞典 Weblio辞書

テクストとしてのヘーゲルー(『マルクスとエンゲルス』) - 哲学者=山崎行太郎ブログ『毒蛇山荘日記』

 私が、この「マルクスエンゲルス」という連載で試みようとしていることは、マルクスやへーゲルなどの思想体系を解説・説明することではない。何故、そういう思想体系、哲学大系を作り出したのか、あるいはそういう思想体系や哲学体系を作り上げる思考力の秘密は、何処にあるのか、という疑問に答えることである。
ところで、最近の論壇やジャーナリズム、アカデミズムの議論や言説には、この「思考力」や「思考力の神髄」が欠如しているように見える。何処を見ても、同じような議論や言説が横行している。紋切り型の議論や言説ばかりが、溢れかえっている。「考える」というよりは「考えさせられている」と言うべきだろう。テレビや新聞で報じられたような解説や評論が、あたかも自分のオリジナルな解説や評論であるかのように、それが実は受け売りや模倣やパクリであると分かりつつも、反復されている。思想的停滞とか思想的荒廃とは、こういうことを言うのではないか。

最近、へーゲルの著作を読んでいくうちに、私は、そういうへーゲル論、へーゲル観に疑問を持つようになった。へーゲルほど、前人未踏の未開地に、大胆に思考の手を伸ばした哲学者はいないのではないか、と。へーゲルこそ思考した人ではないのか、と。

「ものを考えている」とは、掘建小屋で考えることだ。つまり、ゼロから根源的に考えることは、掘建小屋でしかできない。どんな壮大な思想体系を築き上げた思想家や哲学者も、はじめは、掘建小屋で考えたのである。

《青年へーゲルは時代の現実と深くかかわり、鋭く切り結ぼうとする。
》(『へーゲル「精神現象学」入門』)


これは、言い換えれば、へーゲルもまた、現実という認識対象の前で、きりきり舞いしながら、右往左往を繰り返し、現実と悪戦苦闘していたしていたということだ。冷静沈着、理路整然と、文字通り体系的に、一直線に思考していたわけではない。


しかし、人はそう考えない。へーゲルは理論の人、体系の人と勘違いしている。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170617#1497696716

古教照心 心照古教―安岡正篤墨跡集

しかしこれだけではまだ受け身で、積極的意味に於て自分というものの力がない。
そういう疑問に逢着して、自分で考え、自分が主になって、今まで読んだものを
再び読んでみる。今度は自分の方が本を読むのです。


虎関禅師は「古教照心、心照古教」と言っておるが、誠に教えられ考えさせられる。
深い力のある言葉です。自分が主体になって、自分の心が書物の方を照らしてゆく。


「本当の読み方は心照古教でなければならぬ」
本というものは読まれたのでは仕様がないし、読まされたのでは大した力にはならぬ。
(中略)
そうではなくて自分から読む。そこで初めて研究というものになる。


それによって得るところは自分の生きた所得になる、活きた獲物、活きた知識になる。
知識にも色々あって、死んだ知識や機械的な知識もあれば、断片的な知識や雑駁な知識もあるし、反対に、生きた知識、統一のある知識、力のある知識もある。
しかし心照古教にならって、自分が研究した知識でなければ、これは生きた力にはならない。
受け身になって、機械的に受け取った吸取紙的知識では、本当にこれはなんの力にもならない。

悟るとミタマが光り、対象に意識を向けると答えが浮かび上がって来る。
本も、自分のミタマで明々と照らしながら読むことになる。
したがって、このブログで「自分で考える」とか「主体的に考える」と言うとき、佐藤優的に「地頭で考える」ことを意味しない。
また、この光が愛そのもので官能的であり何物にも代えがたいので、「絶対」であり「幸せ」なのである。
そして、悟るためには、雑念を払い妄念妄想を去り心身を統一しなければならない。
反基礎づけ主義者は、私語をする学生のようなものだ。

『日本精神通義』

P114

 宇宙人生一切の根源であり、また、宇宙人生そのものである法性の実相妙用を明らかにし、物我の迷執を去ってここに悟入体達してゆく迹門始覚より、白雲おのずから去来するも、青山もと動かぬように、無始以来不覚の迷執はあっても、その法性、本来つねに覚体である本門本覚を説いて、人は法、始覚実は本覚であることを教える法華経を彼ははじめて文字よりそのままに仏にまで徹悟し、信仰し、法華経そのものを一身に体現するに勇猛精進いたしました。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170623#1498214629(幸福度)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20131120#1384944657(「此心光明、亦復(またまた)何をか言わんや」)

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