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日本政府は、北朝鮮弾道ミサイルの発射技術を進展させていることを踏まえ、ミサイル防衛能力を強化するため、地上配備型でイージス艦と同様の能力がある新型の迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」を導入する方針です。


これについて、ロシア外務省のザハロワ報道官は24日、記者会見で、「これまで日本側にも懸念を伝えてきたが、地域の安全への脅威に対抗するには不釣り合いで過剰な反応だ」と述べました。


ロシアは、アメリカが進めているミサイル防衛システムについて、ロシアの安全保障を脅かすとしてかねてから反発してきましたが、改めて立場を明確にしたものです。


また、ザハロワ報道官は、アメリカ軍と韓国軍が行っている合同軍事演習についても、「緊張の緩和をもたらすものではない」とする一方で、北朝鮮に対しては「抑制的な対応を取り、演習に対して軍事的な反応を示さないことを望む」と述べ、関係国は対話による解決を目指すべきだという考えを重ねて強調しました。


政府は、25日の閣議で、北朝鮮に対する独自の制裁措置として、資産凍結の対象に、北朝鮮から石炭を輸入した中国企業や、ナミビアに拠点を置き、北朝鮮の企業と取り引きがある中国企業の子会社など合わせて6つの企業と2人の個人を新たに加えることを了解しました。


北朝鮮への制裁をめぐっては、アメリカ政府が、今月22日に新たに中国やロシアなどに拠点を置く10の企業と6人の個人を、制裁の対象に加えたと発表し、アメリカ国内の資産を凍結し、金融取引を禁じています。


今回、政府が独自制裁の対象に加えた企業と個人は、これに含まれていて、国連安全保障理事会で新たな制裁決議が採択されたことを受け、アメリカと歩調を合わせた形です。


外務省によりますと、国連安全保障理事会の決議も含めた日本政府の制裁対象は、合わせて72の団体と81人の個人となりました。


 瀬戸際外交はこの言葉が生まれるはるか以前から存在していたはずだ。しかし、われわれの辞書に登場したのは冷戦時だ。哲学者のバートランド・ラッセル氏と、ハーバード大学教授でノーベル経済学賞を受賞したトーマス・シェリング氏はこれを敵対する2者によるチキンゲーム(度胸試し)と呼んだ。つまり、双方に暴力と混乱のリスクがあるにもかかわらず、相手が引き下がるまで要求をつり上げ続けるやり方のことだ。


 この言葉自体がどれだけ新しかろうと、はるか昔の古代ギリシャ時代にも瀬戸際外交は実際に行われていた。古代ギリシャ人はその達人でもあった。ギリシャペルシア戦争(紀元前499〜449年)の後、アテネには諸都市が結束するデロス同盟ができた。一方のスパルタにはペロポネソス同盟が結成された。双方とも賄賂と武力というアメとムチを通じて、同盟仲間をつなぎとめていた。


 両同盟とも、先に屈するのは相手のほうだと踏んで要求をつり上げていったが、この戦略は裏目に出ることになった。紀元前432年頃にアテネのリーダー、ペリクレスペロポネソスの同盟都市であるコリントスを孤立させようと試み、コリントスの同盟仲間である都市のひとつに貿易停止を宣言した。だが、両同盟とも面目を失うことを嫌い、ついにペロポネソス戦争に発展、アテネは敗北した。


 軍事的な緊張状態を制御不能に陥らせることのリスクのひとつは、それまで中立的な立場にあった関係国までをも挑発してしまうことだ。大英帝国に対して1806年頃から瀬戸際外交を行っていたナポレオンの政策をひっくり返したのは予期せぬ第三者だった。ナポレオンは当時、欧州の大部分を支配下に収めていたにもかかわらず、大英帝国が自身の縄張りを侵してきていることに不満を覚えて大陸封鎖令を発し、英国と大陸諸国との貿易を禁止した。ナポレオンは同盟国のロシア帝国が大陸封鎖令を守れば、大英帝国は経済的な崩壊に至り、双方の困窮はたちまちのうちに緩和されると踏んだのだ。


 ところが、大英帝国は独自の封鎖措置で対抗。困窮したロシア帝国はフランスに逆らい大陸封鎖令を破った。裏切ったロシアに対し、ナポレオンは軍隊を送り込み、「モスクワ遠征」をしかけた。しかし冬将軍が早めに到来したこともあり、ナポレオン軍は壊滅した。


 20世紀に入ると、核兵器による「相互確証破壊」という概念の登場によりチキンゲームは劇的な変貌をとげた。双方が互いに一瞬で相手を壊滅させることが明白な場合に、敵にどう立ち向かえというのか。1962年のキューバ・ミサイル危機の際に米ソ両国が戦争を回避した後、瀬戸際外交の時代は終わったかのように見えた。終わったという希望を持つのは時期尚早だったのか。それは今後の行方次第だ。