知識創造には「トップダウン」でも「ボトムアップ」でも不十分 - ソーシャルメディア進化論2017 https://t.co/1f6d4J6rbK
— ダイヤモンド・オンライン (@dol_editors) 2017年9月26日
組織の経営スタイルとしてよく言われるのが「トップダウン」と「ボトムアップ」だ。トップダウンは強い推進力を持ったリーダーが意思決定を行うため、スピード感や組織の一体感という点では一日の長があるものの、リーダーの指示がなければ組織が動かないというデメリットがある。一方のボトムアップには、現場に裁量が委ねられるためモチベーションは維持しやすい半面、組織としての足並みが揃わないと方向性を見失ってしまう恐れがある。では、これらの不足を解消する方法はあるのだろうか。一橋大学名誉教授の野中郁次郎氏は、そのカギを握るのは「ミドル」だと喝破する。果たしてその真意とは?
武田 野中先生が示されたナレッジマネジメントの基礎理論となるSECIモデル(第1回の記事を参照)では、「暗黙知」と「形式知」の交換と知識移転のプロセスがモデル化されています。
その暗黙知はアート、そして形式知はサイエンス、と理解してよいのでしょうか。そしてその2つがはっきり分かれているわけではなく、グラデーションになっていると。
野中 そう、“Art or Science”ではなく、“Art and Science”なんですよね。いま、米国のビジネススクールでは“Management as a Science”と教えていますが、それは少し違っていて、やはりそこも“Art and Science”だと思っています。
僕だけでなく、友人で経営学者のヘンリー・ミンツバーグも「マネジメントというのは、クラフト、アート、そしてサイエンスのブレンドだ」と言っていました。それはとても共感できますし、なかなかいい表現だと思います。そのブレンドの度合いは、そのときどきのリーダーがコンテクストに応じてジャッジしているんです。
武田 組織のリーダーが、マネジメントにおいてどういう配分にするかを、現場に合わせて考えているんですね。
野中 SECIモデルを回すのもリーダーの役割で、そのリーダーのコンセプトは「フロネシス」だと考えているんですよ。
武田 フロネシスとは?
野中 アリストテレスが分類した3つの知のうちのひとつ、英語訳では賢慮(prudence)や実践的知恵(practical wisdom)とも言われますが、要は「実践的賢慮」、端的には「実践知」です。
フロネシスというのは、中庸を守る徳性です。科学的知識、実践的知識のどちらか一方に偏るのではなく、状況に応じてダイナミックに融合させて判断することができる。そして、それをもとに賢く行動できるリーダーが、知識創造には必要だと考えられます。
武田 SECIモデルを回すのには、これまでのリーダーシップとは違う、新しいリーダーの解釈が必要なんですね。
野中 いまアメリカの経営学分野で話題になっているのは、デビッド・ティースの「ダイナミック・ケイパビリティ」やヘンリー・チェスブロウの「オープン・イノベーション」です。この2つと僕らのナレッジ・クリエーション(知識創造)に共通するのは、サイエンスだけでは捉えきれないものを扱っているということ。
近年の経営論は、アートや、何がエシックス(倫理的)であり何がグッド(善)なのか、といった問いを入れ込まざるを得なくなってきています。
しかし、デビッド・ティースの考えるモデルは、彼自身がCEOとしてベンチャーを成功させていることもあって、結局トップマネジメントなんですよね。僕はやはり、トップ1人で知識創造企業はつくれないと思っているんです。鍵となるのは、ミドルだと。
武田 トップのマネジメント層でも、現場のボトム層でもなく、間のミドル。日本では「中間管理職」と言われる方々ですね。
野中 一般的に中間管理職というと、そんなに経営に寄与している感じがしませんよね。欧米でも同様で、アメリカで「ミドル」というと、トラディショナルな経営学者は「あいつらはダメだ」とすぐ切り捨ててしまう。
ところが、ミドルはやはり必要なんです。だから存在している。もし、トップの考える「あるべき理想」と、現場の現状認識が完全に一致しているなら、いろいろな企業でミドルはいなくなっているはずでしょう。
武田 たしかに、どんな企業でも中間層は存在します。
野中 そう。なぜミドルが必要なのかというと、トップとボトムの間に生じる矛盾を、絶えずタテ・ヨコに動いて解消する役割があるからです。典型的には、プロジェクト・リーダーでしょう。あるときはトップのビジョンを解釈し、部下に分かりやすく伝え、あるときは、ボトムの直面する現場感覚をトップに直言する。ボトムの師であり、ボトムから教えられることもある。
野中 トップダウンとボトムアップを同期させながら、組織全体を共振、共感、共鳴させるのがミドルの役割。そして、日本の経営モデルは伝統的にこのクリエイティブ・ミドルを大切にしてきたんです。
武田 「トップダウンとボトムアップ、どちらが正しいのか」という議論になりがちですが、トップダウンには脆さがあり、ボトムアップには強さがありません。
野中 そうですね。トップダウンは形式知を扱うのが得意であり、一方のボトムアップは暗黙知の処理に向いています。しかし、どちらのモデルも知識創造のスパイラル全体を回すという意味では完全ではありません。
では、どうしたらよいのか。トップダウンとボトムアップ双方の弱点を打破し、組織的な知識創造のマネジメントに最も適しているのが、中間管理職発信型の「ミドル・アップダウン」だと僕は考えています。
武田 ミドル・アップダウン、つまり中間管理職が中心に位置し、トップとボトムを巻き込んでいくモデルですね。それは私自身の実感としてもよくわかります。
当社も、創業当初はそれこそボトムアップ型の組織でしたが、社員が10人を超えたあたりから、それでは立ち行かなくなりました。かといって、創業当初から「コラボレーション」を謳ってきた組織であるがゆえに完全なトップダウンにもなりきれず……消去法的ではありますが、今の当社はミドルが大きな役割を担う組織になっています。
野中 中庸というのは、英語で言うとモデレーションですが、ダイナミック(動的な)・モデレーションというのが、コミュニティをつくる場合も、社会をつくる場合にも重要になってくるんですよ。
その中庸を守る「フロネシス」を持ったリーダーシップが、「フロネティック・リーダーシップ(実践的賢慮リーダーシップ)」なんですね。
武田 フロネティックというからには、能力というのではなく、そのリーダーはある種の人格的特性があると考えてよいのでしょうか。
野中 そうですね。すぐれた政治家や軍人、組織のリーダーの事例を研究していくと、SECIモデルを回すことのできるフロネティック・リーダーは、6つの要件を備えていることがわかります(右図)。
1つ目は、「善い目的をつくる」。リーダーは、組織の存在価値と目的の追求にこだわり、何がグッドなのかという理想を語らなければいけません。
2つ目は、ありのままの現実を直観する能力です。リーダーは、絶えず戦況を現場で観察し、物事の本質を見抜く必要があります。
武田 たしかに、現場に行かないことには現実を知りえません。
野中 3つ目は、場をタイムリーにつくり共感を育む能力。海兵隊では「リーダーは最後に食べる」(Leaders eat last.)という表現がありますが、上司はこうした利他の精神をもって部下との間に信頼関係をはぐくむことで、相互主観の場を醸成します。
そして4つ目が「直観の本質を物語る」、つまり現場で得た本質を壮大な物語にする能力であり、5つ目がそれを実現する力。最後の6つ目として、時空間を超えて世界の現実と共鳴する自律分散型組織を育てる能力です。
武田 先生はご著書『知的機動力の本質』でアメリカ海兵隊の組織研究をされていますが、海兵隊はまさにこの6要件を満たして、組織的に自律分散型のリーダーシップを育成する仕組みを備えているということですね。
野中 海兵隊については、もうひとつ興味深い点があります。
たとえば陸軍ならば、ダグラス・マッカーサーやドワイト・アイゼンハワー、ジョージ・パットンといったカリスマ的なリーダーの名前が思い浮かびますよね。ところが海兵隊の総司令官となると、おそらくアメリカ国民でも名前がすぐに出てこないと思います。
武田 たしかに、海兵隊と言われてもリーダーの顔がすぐに思い浮かびませんね。
野中 海兵隊の総司令官にビジョナリー・リーダーはいても、あらゆる層からリーダーが輩出される匿名的な自律分散型組織なので、特定のリーダーに焦点を合わせるのが難しいのです。
このことを象徴しているのが、バージニア州のアーリントン国立墓地にある、いわゆる「硫黄島記念碑」です。
野中 ええ。顔の見えない匿名のチームが、より大きな価値に向かって苦闘する姿を描いたあの像は、トップダウンではない海兵隊という組織のあり方を物語っています。同時に、海兵隊の理念を象徴する一人ひとりの武勇伝も伝えています。
武田 私たちの会社でも、こうしたフロネティック・リーダーを目指すような評価項目(右図参照)をつくっています。作成した当初は、なぜ専門性を評価しないのか、などいろいろな議論がありましたが、10年以上続けていく過程で組織にだいぶ浸透してきました。
野中 どういう項目なのですか?
武田 全体性、計画力、実行力、スケジュール管理力、意思決定力、説明・コミュニケーション力、コラボレーション力(場をつくる力)です。
野中 リーダー自らが、これらを体現してプロトタイプを示すんですね。
武田 はい。そして、これらすべての項目で部署に貢献し続けることのできる人を、主任と呼ぶようにしました。するとおもしろいことに、その主任たちが自発的に「主任とはどうあるべきか」をステートメント(右図参照)にまとめ始めたんです。
彼らに話を聞くと、主任がどうあるべきかということについては、暗黙知で共有されていて、全員でスムーズにコンセンサスがとれるのだそうです。
このように、組織から内発的に形式知化が起こるようになると、組織が少し知識創造企業に近づいたのではないかと感じます。
野中 なるほど、よくわかります。情報と違って、知識は意味、価値、概念なんですよね。この「意味」があるためには、主体がコミットしなければいけません。そして、関係性のなかでその意味が共有されて、理論モデルや概念に発展し、実践を通じて知識は知恵に身体化されていく。そういうことを、社内でやっていらっしゃるんですね。
武田 彼ら主任にとって、自分たちが生み出したこのステートメントは大切なものなんです。それゆえに、後から主任となった人にも懇切丁寧に伝えようとするし、これに反するものに対しては自浄作用が働く。そうして、組織の中であるべきリーダーシップ像が守られるのです。
野中 そのお話は、GE(米国のゼネラル・エレクトリック社)のケースとよく似ていますね。GEは2014年に、それまで設定していた5つの「GE Growth Values」を、「GE Beliefs」に変えたんです。
Valuesのときは、有能な事業部長に共通する特性を調べて、「外部志向」「明確でわかりやすい思考」「想像力と勇気」「包容力」「専門性」を掲げていました。しかし、それらを押し付けるだけでは人は変わらないと気づいたんです。
武田 そこで、Values(価値)からBeliefs(信念)に変えたのですね。
野中 そう、BeliefsはValuesよりも人の内面に入り込んで行動を促すから、と。Valuesのときはすべて名詞表現だった項目も、「お客様に選ばれる存在であり続ける」「より速く、だからシンプルに」「試すことで学び、勝利につなげる」「信頼して任せ、互いに高め合う」「どんな環境でも、勝ちにこだわる」と動詞表現になりました。
そうすると、やっている「人」が見えてきますよね。今までは数値ベースで、パフォーマンスが悪い人は辞めさせていた。でも、Beliefsにしてからは、パフォーマンスをお互いに評価し合うようにしたんです。
武田 ただ、人が人を評価するという行為は、とても難しいと感じます。
野中 そうですね。でも、何が善いことなのかをBeliefsで共有していき、それを判断基準にしていこうということでしょう。
武田 共同体善のようなものですね。
野中 はい。それを現場のみんなで日常的かつ自由に話し合いながら、共通善を実現するために、お互いレベルアップしていきましょうと。最初はみんな遠慮していたけれど、だんだんフランクに意見が言い合えるようになってくるのだそうです。
アメリカの巨大企業であるGEがスタートアップ企業のようになろうとしているというのは、マネジメントスタイルが変化している象徴的な出来事だと思います。