洞穴を隠れ家とし変装し、正規軍から武器や食料を奪い取り、
声高くイデオロギーを叫ぶこともなく、無駄な殺戮をせず、
ただ自分たちの信仰の自由を求めた、迫害された農民たちの戦いに、
まず、我々は共感を抱くことと思います。
たまたま獄中の父親を救うために参加し、たまたまリーダーに選ばれてしまい、
何の軍人教育も受けてないのに「天賦の才」のみで、偉大な将軍に匹敵する働きをした、
若きパン焼き職人の青年の自伝です。
クライマックスはルイ十四世との会談で、死を覚悟で仲間たちの窮状を訴える彼と、
青年の軍事的な才能を認めた国王とのやりとりが見ものです。
歴史資料としては日本では知名度もなくとりわけて重要性もないかもしれないけど、
若者たちの冒険譚として読めば
どの時代のどの文化の人々にも胸のすく思いがする、痛快な回顧録。
事実は小説よりも奇なり、です。
2000人ほどの農民が、2万5000をこえるフランス国王の派遣した正規軍と2人の元師を敵にまわして2年あまり、いかに戦ったかカヴァリエは記録した。セヴァンヌの蜂起がなかったら、プロテスタントはフランスで存続しえなかったであろう。
セヴァンヌ戦争は、プロテスタントたちが未曾有の固い決意をもって、自分の子どもをカトリックのプロパガンダから守ったことを明らかにした。セヴァンヌ戦争は、政治とは無縁で、単に信仰の自由の擁護のみが惹起した戦いだった。
ルイ14世によるナント王令廃棄のあと、監獄ガレー船はプロテスタントで一杯になった。死刑台と絞首台は、プロテスタントの血で汚れた。これほど恐ろしい残虐行為は、プロテスタントの敵にとって不利になり、それだけプロテスタントに有利になった。というのは、それまではプロテスタントの仲間に加わる気などなく、静かに自分の家で暮らしていた人たちが、もはや誰ひとり安全ではないと知って、ためらうことなくプロテスタントの戦列に加わったからである。そこで、プロテスタントの軍営は人数が増え、強力になった。
フランス「太陽王ルイ14世、国内産業ぶっ壊した上に、利益にならない戦争しすぎて100年後にブルボン王朝を崩壊させる大原因になっている件」 17世紀 個人的なネット小説リンク所 フランスの歴史
当時のフランス国民(パリ市民)にヴァレンヌ事件までは絶大な人気を得ていた。当時の財政難はルイ14世とルイ15世の放漫財政も一因であり、財政再建のための改革にルイは積極姿勢を示したが、途中で挫折した。
ルイ16世は、国民の良き支配者、理想的な国王を目指した啓蒙専制君主であった。農奴制の廃止、プロテスタントやユダヤ人の同化政策などをすすめ、科学や地理探検にも理解があり、その支援者であった。さらに三部会召集も第三身分をもって第一身分、第二身分の特権を突き崩そうとしたものであった。当時、マリー・アントワネットが数々のスキャンダルで世間を騒がせていたにも拘わらず、国王の威信が地に堕ちるということはなかった。人々は良き王の統治を求め、実際1789年の三部会開催に際し寄せられた数々の意見は、良き王への陳情という形式がとられていた。
「のちに革命への対応に失敗したからといって、さかのぼって無能の烙印を押すことは避けたほうがよい。とくに欠陥のある国王というわけではなかったろう。ただ、変動期に決断をせまられたときに、強力な指導力を発揮できるような人ではなかった。政治感覚がひどく鈍かったわけではないが、ありていにいえば優柔不断だったのである。」(福井憲彦)
ルイ16世って素敵な人じゃん! 無実の罪で処刑されてなお、平和を願った優しき王に涙 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)