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「大手映画会社のプロデューサーが女優をホテルに誘ったとか、口を利いてやって愛人にしたとか、そんな話はゴロゴロあったと思いますよ。これからの女優を妾にしたとかね。いわゆる“目をかける”です」


 そう語るのは映画監督の井筒和幸氏(64)。63年に日活ニューフェイスに選ばれ、翌年デビューした西尾三枝子(70)も、


「ハリウッドの話には、驚かないですね。私の時代にもよくあったことです」


 と言って、続ける。


「映画に出るためにプロデューサーさんと、という噂はよく聞いたし、私も主役になれたのが早かったので、監督やプロデューサーに取り入っているんじゃないの、と同期の子に疑われました。昔は監督やプロデューサーの力が絶対でしたから。お尻を触られるなんてしょっちゅう。監督さんに胸をモギュなんてことも。日活の女優さんで、社長に何千万もするクルマを買ってもらっている人もいました」


 映画会社の社長で、女優との関係で名高いのは、新東宝の社長時代に「女優を二号にしたんじゃない。二号を女優にしたんだ」と豪語した大藏貢氏(1899〜1978)。

 元東映プロデューサーの日下部五朗氏(83)も、大藏氏について、
「自社の女優に片っ端から手を出すと言われていました。ただ、当時の映画会社の社長なんて、会社は自分の巾着くらいに考えていましたからね」

深作欣二五社英雄が映画を撮れば、女優さんのほうから近寄っていきました。大部屋の女優さんはいい役が欲しいし、松坂慶子なんか深作監督を尊敬していたから。ただ、用心していた人も多い。たしか昭和36〜37年ごろ、京都撮影所の入口を入ってすぐの黒板に、ある女優さんが書いた告発状が貼られましてね。私は誰々と関係を持った、と暴露されていたんです」


 深作監督(1930〜2003)については、こんな話もある。語るのは元松竹の社員である。


「深作が東映から松竹に真田広之を連れてきて、松竹の看板女優の松坂慶子を使って『道頓堀川』を撮ったときのこと。松坂は自分が、二人を迎える潤滑油になろうとしていたんですが、現場に4日遅れて入ると、深作さんも真田もすでに打ち解けていました。それを見た松坂がすねて、現場の雰囲気が悪くなっちゃったので、製作スタッフが“このままじゃ映画作れないから、作さん、一度松坂とちゃんと話してよ”と、新宿のホテルに2泊分、部屋を用意した。結局、そのまま二人で部屋にしけこんじゃったんですよ」

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