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 さて、「ダンケルク」という言葉は、撤退戦の後、地名を超えた意味を持つようになり、「逆境に耐え抜く精神」を「ダンケルク・スピリット」と呼ぶようになったそうです。そして、ダンケルクの戦いを境に、イギリス国内では挙国一致してナチスの侵略に立ち向かう機運が高まります。実際、映画で登場する人物のほとんどは一般人であり、チャーチルが国民の奮起と団結を促す最後の演説は感動的です。


 そして実は、国民の団結は階級や出身地、貧富の差など社会階層の意味をなくすことにつながり、国民の生活保障を通じて平等な社会を目指す「福祉国家」導入の引き金になりました(福祉国家の定義は多様ですが、ここでは「国民の生活保障」「平等性を志向」を重視します)。


 というのは、第1次世界大戦以後の戦争は国の経済力全てを動員する「総力戦」となりました。そこで多くの男性が兵隊として前線に送り込まれたほか、国内では彼らが働いていた仕事を、女性や高齢者が肩代わりするようになります。国民の統合や連帯を掲げつつ、社会から排除されていた人たちも動員し、総力戦と長期戦を勝ち抜こうとしたわけです。


実際、同じようにダンケルクを取り上げたイギリスの映画『人生はシネマティック!』では、国民の戦意高揚を図るプロパガンダ映画の脚本家として女性が抜擢され、彼女を中心にストーリーが展開されます。そして、この映画でも、老齢の俳優が主人公の女性脚本家に対し、若い男性はみんな前線に出ている、自分たちしかいないんだ、と話し掛ける場面があります。銃後の社会や経済を維持する上で、女性や高齢者の労働力が欠かせなかったのです。


 しかし、それまで排除されてきた人たちが社会の一員として動員されれば、当然の結果として権利意識が高まり、国家は相応の権利保障を求められます。こうして平等を重視する機運が強まり、福祉国家創設の地ならしが進むわけです。


 例えば、俗に「ゆりかごから墓場まで」と言われる社会保障制度がイギリスで本格的に議論され始めるのは1942年11月のことです。これは、ドイツとソ連が雌雄を決した「スターリングラードの戦い」が始まった頃。日本では激しい消耗戦となったガタルカナル島の撤退を決めた時期で、まだ世界を二分した連合国と枢軸国の間で死闘が続いていました。

 しかし、イギリスではベヴァリッジという人物が、政府の諮問に応じる形で報告書を提出し、包括的な社会保障制度の確立を提唱しました。報告書の末尾には国民の団結と福祉国家の関係性を思わせる以下のような文章があります。


◆英国民の一人ひとりが、戦争の一点に集中した最大の努力が得られて初めて早期に勝利できるのである。(中略)国民各自は、その政府がより良き世界のための計画を持っていると感じる方が、よりよく戦争に集中するであろう。


◆多数の国民が一緒に心からの同盟者として戦わねばならぬような一戦争においては、勝利によって何をなすかを示すことは緊要であろう。


◆戦争が最も激しいときに社会行政の再建案を練ることには幾多の困難もあったが、その利益もあったのである。窮乏の予防、疾病の減少および救済──社会行政の特殊目的──は、事実、全国民の共通の関心を持たれるところである。戦争が国民的統一をもたらすがゆえに平和時よりも、戦時の方がこの事実をより一層実感できよう。


 この報告書は刊行後、イギリス国内で爆発的に売れただけでなく、「戦争国家」(Warfare state)から「福祉国家」(Welfare State)に転換する必要性が盛んに論じられるようになり、戦後には報告書に沿って医療保障制度や年金制度が作られていきます。こうしてヒトラーの侵略に対抗するため、国民の連帯や団結を強調したことが、福祉国家への機運を高めることになったわけです。

 実は、日本でも同じ傾向が見られます。厚生省(現在の厚生労働省)が発足したのは日中戦争開始1年後の1938年であり、徴兵される国民の体力低下を懸念した陸軍が「体力向上を進めるため、専門の省庁が必要」と主張したのが一つの契機でした。


 さらに敗戦までの間に厚生年金などが制度化されており、厚生省OBによって書かれた『日本医療保険制度史』が「戦前に作られた多くの制度や法律が廃止された中で、社会保険制度は生き残り、徐々に再建・再生された。我が国の社会保険制度は大正から昭和の不況や戦争が生み育て、残したプラスの遺産の一つと言ってよい」と書いている通り、戦時中にできた制度は戦後の基盤となっています。


 殺人という非人道的な行為を組織的かつ効率的に進める戦争と、病人や障害者、貧しい人の人権を保障する福祉国家。一見すると縁遠いように思うかもしれませんが、その草創期には「総力戦体制」というフィルターを通じて不思議な相性の良さを見せたのは事実であり、国民の団結を描いた『ダンケルク』にも一端を見ることができます。