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 まあ、昔の裁判官の方って、「判決だけで後は黙して語らず」みたいな美学(?)または雰囲気があったように推察しておりますので、最高裁でも補足意見を書くことはよほどの場合だったのではないかと思いますが、最近は、重要な争点については積極的に語ろう、補足意見を書こう、という雰囲気に、最高裁の裁判官の方が皆なってきているのかなあ、と推測されます。

 最高裁判決や決定の理由部分って、やはりその内容の重要性・今後の事例への影響度の大きさからだと思いますが、極限まで一字一句練り上げられた、無駄や隙のない文章になっていることが通常だと思います。
 だから、最高裁の裁判官の方も、「裁判官全員の理由部分の記載では、自分の言いたいことを言い尽くしていない、言い足りない」と思う時もしばしばあるのだろう、その思いが補足意見として現れているのでは・・・、と、と思っております。
 その結果、最高裁判決・決定の言わんとすることが、(補足意見を除いた)理由部分だけ見ても余りに簡潔過ぎて(または凝縮され過ぎていて)よくわからない、あるいは行間を読みづらい、という場合に、補足意見があると、最高裁の判断の理解に厚みが出るように思います。

 ただ、その場合、実務家にとって悩ましいのは、その補足意見に記載された考えが、「補足意見を書かなかった他の裁判官も同じ考えである」のか、「補足意見を書かなかった他の裁判官は違う考えである」のか、どちらかがわからない場合が結構あるのですね。
 すなわち、補足意見を書いた裁判官以外の裁判官が補足意見を書かなかった理由が、「補足意見と概ね同じ意見なんだけど、敢えて補足意見を書くまでもない。全員共通の意見部分で自分の意見としては十分。」と思っているのか、「いや、補足意見で書かれている意見は自分の意見とは違う。でもその違う意見を自らの補足意見として書くまでもない。自分の意見は、全員共通の意見部分で十分。」と思っているのか、必ずしもはっきりしない場合があると思うのです。

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