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雅子さまは平成5年6月9日、皇太子さまと結婚されました。

アメリカのハーバード大学を卒業し、外交官として活躍されていた雅子さま
皇太子さまとの恋は、当時、大きな注目を集めました。

皇居で行われた「結婚の儀」に続いて、お住まいのある赤坂御用地までオープンカーでパレードされ、沿道には20万人近くが詰めかけました。

1か月後の宮中晩さん会で、雅子さまは皇太子妃として国際舞台にデビューし、元外交官のキャリアを生かして外国の首脳と懇談されました。

翌年、雅子さまは皇太子さまとともに初めての外国公式訪問に臨み、中東4か国を回って国際親善に努められました。

平成7年に阪神・淡路大震災が発生した際には、外国訪問の日程を繰り上げて帰国し、初めて被災地を見舞われました。

雅子さまは記者会見の場などで「難しい境遇に置かれている人々や、さまざまな困難に直面している子どもたちに、常に心を寄せていきたい」と述べられてきました。

東京都内の児童養護施設乳児院を視察したほか、女性の留学生を支援する団体の式典にお一人で出席しておことばを述べられたこともありました。

結婚から8年がたった平成13年12月、待望のお子さま、長女の愛子さまを出産されました。

しかしその2年後、雅子さまは体調を崩し療養生活に入られました。
慣れない環境と大きなプレッシャーの中で、公務と子育てによる心身の疲れをためられていたのです。

宮内庁は「適応障害」という診断結果を公表。
皇太子さまは記者会見で、雅子さまに寄り添い支え続ける決意を述べられました。

皇太子さまお一人での公務が日常化する中、平成17年に愛知県で開かれた「愛・地球博」では、雅子さまも会場を視察し、1年8か月ぶりに地方での公務に臨まれました。

一方で雅子さまは、母親として愛子さまの成長を支え続けられました。
愛子さまが通学に不安感を抱かれていた頃には、連日学校に付き添うなど対応に尽くされました。

雅子さまは体調に波があり、公務を重ねられるのが難しい状況が続きますが、平成23年東日本大震災が発生すると、ご夫妻で大きな被害を受けた東北3県を相次いで訪れ、避難生活を続ける被災者を励まされました。

そして平成25年4月、雅子さまにとって11年ぶりの外国公式訪問となったオランダへの訪問が実現し、回復に向けた大きな一歩を踏み出されました。

ことし、結婚から25年の「銀婚」を迎えられた雅子さま
体調を崩して以来初めて全国赤十字大会に出席し、秋の園遊会でも最後まで行事に臨まれました。

皇太子さまに温かく見守られながら、努力と工夫を重ねて体調を整え少しずつ活動の幅を広げられています。

医師団は、雅子さまがことし4度の地方訪問を務めたことや、15年ぶりに全国赤十字大会に出席されたことなどを挙げ、「活動を一つ一つ着実に積み重ねていらっしゃることが妃殿下の自信となり、結果として活動の幅の広がりにつながってきていることは望ましいことと考えております」と説明しています。

その一方で「依然として快復の途上にいらっしゃって、体調には波がおありです」とし、「来年は重要な一連の行事もおありで忙しくなられますが、無理をされず、周囲の方々の理解と支援をお受けになりながら、これまで同様治療を続けていただくことが大切です」と記し、引き続き温かく見守ってほしいという考えを示しています。

愛子は学習院女子高等科2年生になり、高校生活をとても楽しんでいる様子で、夏にはイートン・カレッジでのサマースクールや、秋には奈良・京都への修学旅行など、新しい経験も色々と積みながら、多くのお友達に囲まれて充実した日々を過ごしているように見受けられます。

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/12/04/200100(トランプ氏、新天皇と来年5~6月会見へ 外国首脳で初)
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