https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

半導体輸出の不均衡で起きた「日米半導体摩擦」は、昭和62年にアメリカが通商法301条に基づく関税引き上げの制裁措置を日本に初めて行う事態となり、問題の打開をめぐる協議は戦後最も厳しい貿易交渉の1つとなり「日米半導体戦争」とも言われました。

今回、外務省が公開した外交文書で、関税引き上げの制裁措置が行われた前後の日米間のやり取りの詳細が明らかになりました。

制裁措置の2か月後に行われた当時の中曽根総理大臣とベーカー財務長官の会談内容を知らせる公電では、ベーカー長官がレーガン大統領からの伝言として、引き上げた関税の一部を解除することを念頭に公定歩合引き下げを実施してもらえばありがたい」と要請していたことが記されています。

これに対し、中曽根氏は日銀総裁は利下げの意向のない旨、記者会見で述べている。しかし、実質金利が高いことは事実であり、大蔵大臣とも相談したい」と応じたとしています。

そのうえで中曽根氏は半導体と利下げを取り引きしたとの批判は回避しなければならない」と述べていて、慎重に対応したことがうかがえます。最終的に公定歩合の引き下げは行われませんでした。

同志社大学大矢根聡教授は「公定歩合の引き下げは日銀の専権事項であり、総理大臣が合意するのは難しい。貿易と公定歩合を取り引きするよう迫ったことはかなり異例で、こうしたアメリカ側の姿勢は今、TAG=日米物品貿易協定の交渉が始まろうとする中で重い教訓を投げかけている」と話しています。