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およそ500年前の室町時代に始まったとされる筥崎宮の玉取祭、別名「玉せせり」は正月三が日を締めくくる博多の伝統行事です。
およそ5万人が詰めかける中、境内では松の木でできた「陽の玉」と「陰の玉」と呼ばれる2つの玉がわらのたわしで磨かれ清められました。
玉は直径およそ30センチ、重さが10キロ前後もあり、触れると幸運を授かるとされています。


「陽の玉」がいったん境内の外の神社に運び出されると、浜側と陸側に分かれたおよそ300人の「競り子」と呼ばれる締め込み姿の氏子たちが、「オイサ、オイサ」という掛け声とともに「陽の玉」を奪い合いながら250メートル離れた本殿前の楼門まで玉を運びました。


最後に神職に手渡すのが、浜側なら豊漁に、陸側なら豊作になるとされ、ことしは陸側が手渡しました。
玉を手渡した陸側の40代の男性は「最後に奉納した瞬間は全身が奮い立ちました。ことしはよい年になりそうです」と話していました。