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就任後の5か月で河野大臣の中東訪問はすでに3回、中東各国の要人との電話会談は12回に上っています。外務省は、短期間にこれほど中東を訪れた大臣はこれまでいないのではないかとしています。


河野大臣が進めようとしている中東外交とは何か。
注目すべき点は、原油天然ガスなどのエネルギー確保のために経済面での結びつきを強化するだけではなく、中東地域の問題に政治的な関与も強めようとしている点です。


「日本だからできることがあるのだ」と強調する河野大臣。「日本だから」という言葉の背景には、欧米の主要国とは一線を画し、中東諸国に対して、中立的な立場を維持してきた日本の立ち位置があります。


日本が中東でどのように中立なのか、「宗教」と「歴史」という2つをキーワードに見ていきたいと思います。

中東に影響力を持つ欧米の国々のほとんどでキリスト教徒が多いことを考えれば、中東の国々から見れば、日本は宗教的にかなり中立な立場にいるというのは疑いようのない話です。

さらに歴史的にはどうでしょうか。
中東の国々の国境線は1900年代初頭、イギリスやフランスといったヨーロッパの列強によって一方的に引かれたものが少なくなく、民族や宗派を無視する形で引かれた国境線もあります。


アメリカも、湾岸戦争イラク戦争という2度にわたる大きな戦争などで中東に深く関与してきました。中東では、欧米が残した「負の遺産」に対し、複雑な感情を持つ人もいます。


一方、日本は、欧米諸国と比べると歴史的に中東地域との関わりが薄く、ネガティブな感情を持たれることがなかったといえます。こうしたことを背景に、宗教的にも歴史的にも中立的な立場を維持してきた日本こそが、争いの当事者間の橋渡し役を果たすことができるというのが河野大臣の考えなのです。


河野大臣は、去年12月、バーレーンでの安全保障関連の国際会議に日本の外務大臣として初めて出席。「日本は、宗教・宗派や民族的な観点から中立で、中東地域に歴史的に負の足跡を残してこなかったという点で特殊だ。日本だからこそできる形で、中東の安定にもっと貢献していける。これは私の信念だ」と力強く演説しました。

取材先では「あなたはどちらの側に立っているのか」と常にスタンスを問われます。大規模な戦闘や衝突が起きた際には、支局のスタッフであるイスラエル人、パレスチナ人双方から、立場をはっきりするよう迫られたこともあります。


私は「どちらの側にも立っていない」と答えました。納得がいかない様子でしたが、それ以上、エスカレートすることはありませんでした。その理由を振り返って考えると、私が利害関係のない「日本人」だったからなのです。


中東とは歴史的なつながりが薄く、宗教的にも無縁な日本からきた記者ということで、「中立で公平な立場の記者」と見られ、双方への取材がやりやすかったことを思い出します。


NHKと同じフロアに事務所を構えていたアメリカ・CNNの記者は、アメリカ政府がイスラエル寄りと見られていることもあって、パレスチナでの取材は難しいと愚痴をこぼしていました。


イスラエルパレスチナ以外にも、中東の多くの国で取材しましたが、ほとんどの場合で日本は中立な立場の国として、好感をもたれていたのが実感です。

こうした中、中東問題に積極的に関与することを明言していた河野大臣の発言にも注目が集まりました。大臣の口から出たのは、「エルサレムの最終的な地位は当時者間の交渉で解決すべき」という、これまでどおりの日本政府の方針でした。


中東情勢の悪化への懸念は示したものの、アメリカの政策変更の是非については言及を避けたのです。この背景について外務省幹部は取材に対し、「エルサレム問題は重要だが、北朝鮮問題でアメリカと足並みをそろえる必要がある中、アメリカを批判することはできない」と解説しました。


ただ、中東の問題に対して河野大臣は、日本の中立性に加え、アメリカとの太いパイプも日本の武器になると考えています。中東各国の要人との会談を重ねるなかで、各国とも中東和平のプロセスにはアメリカの関与が必要だと考えており、日本としては、アメリカが中東和平を主導するよう手助けしていかなければならないという認識を深めているのです。


中東和平問題だけでなく、シリアの内戦、サウジアラビアとイランの対立など中東が抱える問題には、超大国アメリカの関与が必要だというのは各国の共通認識。そこで、アメリカとの強い結びつきを持ち、トランプ政権とも良好な関係にある日本の立場が有効に働く可能性があるというのです。

河野大臣が議員として最初に中東を訪れたのは、今から21年前の1997年。初当選の翌年にサウジアラビアを訪問しました。


ビザがなかなか得られず、ようやく訪問できたサウジアラビアでは、当時懇意にしていたサウジアラビアの駐日大使のアドバイスに従って、政府の要人との公式な会談は行わず、3食をともにしながら、まずは親睦を深めることに専念したそうです。


さらに、父親の洋平氏外務大臣を務めていた2000年、サウジアラビアでの石油権益の延長交渉に難航した結果、日本は権益を失いました。当時の父親の苦労を目の当たりにした河野大臣は「中東に電話1本で話ができる人脈を作らなければならない」と痛感したといいます。


それ以降、本格的に人脈作りに励み、毎年のように中東を訪問し、議員同士の交流にも取り組みました。日本ではパレスチナ友好議員連盟の会長も務めてきました。


いわば、ライフワークとしてきた中東外交に外務大臣として取り組むことになった河野大臣。「日本だからできることがある」とこれまでに培った人脈や経験をフル活用して飛び回る日々ですが、一方で中東情勢に精通しているからこそ、「日本にできないこと」も痛感しているのだと思います。


河野大臣が、去年9月に発表した中東政策を進める指針は、日本らしい息の長い取り組みを続けていくという宣言や、教育や人材育成分野での取り組みを強化していくなどといった内容で、一見すると地道な取り組みばかりです。


中東の問題に、日本として正面から向き合ってじっくり取り組んでいく、そのための土台をつくろうとしているようにも感じます。河野大臣が、新たな中東外交の地平を開くことができるのか。しっかりと追っていきたいと思います。

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