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リヨンは生糸の生産が盛んで「絹の都」とも呼ばれましたが、19世紀半ばにヨーロッパ全域で蚕の伝染病が広がり、リヨンを中心とするフランスでも蚕のおよそ80%を失い、壊滅状態に陥ったとされています。


160年前に日仏両国の外交関係が樹立したのを機に、病気に強いとされた日本の生糸や蚕の卵がフランスに大量に送られたことで、フランスの織物産業は立ち直ることに成功しました。


一方、日本としても、富岡製糸場の創業当時、リヨン近郊から生糸をつくる道具を輸入するなど、フランスは日本の近代化に貢献しました。


現在、リヨンを中心とする地域はヨーロッパの繊維製品の一大生産地として知られ、両国の連携は、4年前の日仏首脳会談で「繊維分野に関する協力覚書」が交わされるまでに発展しました。


また、19世紀後半には、日本から輸入された浮世絵や工芸品をきっかけに、フランスで日本ブームが起こり、ツバメや菊の花柄など、日本らしさをイメージしたデザインの織物が人気を博しました。


今回、皇太子さまが訪問されたリヨン織物博物館には、こうした織物なども展示されています。博物館のグザビエ・ペルティエ館長は訪問を前に「日仏間の交流は、お互いに重要な影響を与えあいました。皇太子さまが公式訪問の中で時間を取ってくださり、博物館にお迎えすることができてとても光栄です」と話していました。

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