天皇皇后両陛下 エリザベス女王の国葬参列へ 正式決定 #nhk_news https://t.co/oAuunW5fwy
— NHKニュース (@nhk_news) 2022年9月16日
天皇皇后両陛下のエリザベス女王の国葬への参列は、16日の閣議で決定されました。
日程は、17日から今月20日までの4日間で、17日午前、東京の羽田空港から政府専用機でイギリスに向けて出発し、現地時間の17日午後、ロンドンに到着される予定です。
そして、19日午前11時からウェストミンスター寺院で行われるエリザベス女王の国葬に参列し、その日の夜、イギリスを出発されます。
帰国は日本時間の20日午後になる予定です。この間、皇嗣である秋篠宮さまが、天皇陛下から国事行為を委任され、初めて臨時代行を務められます。
両陛下が外国を訪問されるのは、天皇陛下の即位後初めてで、皇后さまにとっては平成27年(2015年)に天皇陛下とともにトンガを訪ねられて以来、7年ぶりの外国訪問になります。
宮内庁によりますと、外国の王室や元首の葬儀に天皇が参列するのは皇室の慣例からして異例のことで、平成5年(1993年)にベルギーのボードワン国王の国葬に当時、天皇皇后だった上皇ご夫妻が参列されて以来、今回が2回目だということです。
皇室とイギリスの王室は古くから親密な関係にあり、エリザベス女王の70年に及ぶ在位の間、昭和天皇、上皇さま、天皇陛下と3代にわたり、交流を続けられてきました。
戦後のイギリス王室との交流のはじまりは、昭和28年(1953年)、ロンドンで行われたエリザベス女王の戴冠式に上皇さまが皇太子時代に、昭和天皇の名代として参列された時にさかのぼります。
上皇さまにとって初めての外国訪問で、当時のイギリス国内では第2次世界大戦を戦った日本に対する厳しい国民感情が残っていましたが、女王は一緒に競馬を観戦するなど温かく迎えました。
昭和46年(1971年)には、昭和天皇が、香淳皇后とともにイギリスを訪問します。
滞在中に開かれた女王主催の晩さん会で、エリザベス女王は先の戦争について触れ、「両国民間の関係が常に平和であり友好的であったとは申すことができません。しかしこの経験ゆえにわたくしどもは二度と同じことが起きてはならないと決意を固くするものであります」などと述べました。女王が初めて来日したのは、その4年後の昭和50年(1975年)。
夫のフィリップ殿下とともに来日し、京都や、三重県の伊勢神宮なども訪れて、多くの人から歓迎を受けました。翌昭和51年(1976年)には、上皇ご夫妻がイギリスを訪問されます。
上皇后さまは、皇太子妃として初めてのイギリス訪問で、ご夫妻は、エリザベス女王とともに2日間にわたってウィンザー城などで乗馬を楽しまれました。上皇ご夫妻はイギリス王室と親密な交流を続け、平成24年(2012年)、エリザベス女王の即位60年を祝う行事に出席された際には、上皇さまは、昼食会で女王の隣の席を用意され、1時間余りにわたって親しく歓談されました。
天皇陛下は、大学院在学中の昭和58年(1983年)から2年間、イギリスのオックスフォード大学に留学し、その後も女王の次男のアンドリュー王子の結婚式に参列するなどこれまで3回にわたってイギリスを公式訪問されています。
平成13年(2001年)の訪問では、ウィンザー城で、エリザベス女王に城の中にある図書室を案内してもらったほか、夕食をともにするなどして交流を深められました。
皇后さまも、外務省に入ったあと、昭和63年から2年近くオックスフォード大学に留学されるなどイギリスにゆかりがあります。
天皇陛下の即位後は、令和元年(2019年)、エリザベス女王の長女のアン王女が来日し、両陛下は、王女夫妻をお住まいに招いて懇談されました。
天皇陛下の即位の礼には、当時皇太子だったチャールズ国王が出席しています。
令和2年には(2020年)、エリザベス女王からの招待を受けて、天皇陛下の即位後初めての外国訪問として、イギリスへの訪問が予定されていましたが、新型コロナウイルスの影響で延期になっていました。
天皇陛下は、イギリスに留学していた際、エリザベス女王と家族の一員のように過ごした時間を懐かしく思い出されているということです。
側近によりますと、天皇陛下は、オックスフォード大学に留学していた昭和59年(1984年)9月、エリザベス女王と夫のフィリップ殿下の招待を受けて、スコットランドのバルモラル城に数日間、滞在されたということです。滞在中、天皇陛下は、女王夫妻からピクニックに誘われ、車で出かけられました。その際、天皇陛下は助手席に乗り、フィリップ殿下のほか、エリザベス女王自身がハンドルを握ることもあったということです。また、城内で犬の散歩をする女王にたまたま会って、親しく話をされる機会もありました。
城の敷地内にある丸太小屋で女王やその家族と一緒にバーベキューを楽しむこともあり、とても温かく、家庭的な雰囲気の中で家族の一員のように過ごされたということです。
d1021.hatenadiary.jp
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#天皇家
1923年9月16日、甘粕事件が起きました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) 2022年9月15日
無政府主義者の大杉栄と内縁の妻・伊藤野枝が甘粕正彦らによって扼殺され、遺体が井戸に遺棄されました。
甘粕はこの事件で10年の実刑判決を受けますが、実際には約3年で出獄しています。
その後は一旦フランスへ移住し、1929年には満州へ渡りました。 pic.twitter.com/mmAgaZpfKf
1939年、甘粕は「満洲映画協会(満映)」の理事長に就任しています。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) 2022年9月15日
甘粕事件での残忍なイメージとは裏腹に、日本人と満州人の待遇を同等にするなど、満映内での評判は高かったそうです。
当時の甘粕を知る李香蘭は、
「無口で厳格で恐れられていたが、よく気の付く優しい人だった」
と語っています。 pic.twitter.com/vja7sjjPxo
1928年9月16日、フジヤマのトビウオの異名で知られた古橋廣之進が生まれました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) 2022年9月15日
敗戦後でオリンピックへの参加が認められなかった時期に日本選手権で世界新記録を樹立するなど、戦後スポーツ界を支えました。
戦時下の勤労動員中に、左手を旋盤に挟み第一関節から先を切断する事故に遭っていました。 pic.twitter.com/gjCVcgaApG