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親と直接話すことが許されていなくて、秘書の人が教育係であり身のまわりの世話をしてくれていました。

しかもうちは5人兄弟だったので、それぞれにひとりずつ担当の秘書がいました。

学業の面も見てもらっていたので、担当の子どもの成績が下がると秘書がクビになるとか、普通にありましたね。

親のことは「お父さん」ではなく「先生」と呼ばなくてはなりませんでした。

本人としては、歌舞伎など伝統芸能世襲制と同じように「親である前に師匠」というようなスタンスをとりたかったのではないかと思います。

でも、やはり伝統芸能とはちょっと違って、そもそもの思考に共感できなければ、世襲も何もないですからね。

僕の場合は、あの人(大川隆法氏)の考え方にひとつも共感できるものがなかったので、いまこうして独立しているんですけど。

ほかにも驚かれるのが、「部屋に監視カメラがついてた」こと。

ちゃんと勉強してるのか常に監視されている状態でした(笑)。

「なにやってんだ宏洋っ!」って天の声がスピーカーから降ってくるわけです。その直後、母親が登場して怒りにくるという感じで。

父も母も東大卒だったので、子どもたちに求めるレベルも高かったんです。だから過剰に厳しかったんでしょうね。

編集部・N:
そのように厳しく育てられていながら、宏洋さんは高校時代に青山学院高等部へ転校したり、大学卒業後は一般企業に就職したり、自由な選択をされたんですね?

宏洋さん:
それは僕が強行突破しただけですね。父は「君の考えは理解できない」と呆然としていました。

10代後半で高校を早稲田大学高等学院から青山学院高等部へ転校し、その時点で実家を追い出されて一人暮らしを強いられました。家賃と光熱水費+生活費5万円だけ支給され、あとは放置状態。

そこからは、僕の交友関係に口出しされることもなく、生活面は苦しくなったぶん、思考や行動に自由を得たかんじです。

なんせ制限されまくり、監視されまくりの子ども時代を送ってきたので、妄想力だけは相当鍛えられてきましたから(笑)。

親との決別に、後悔も歩み寄りも「まったくない」

ただ、どうしても仲良くできない場合や親のほうが子どもの人生を妨げる場合もある。

「この親に一生付き合っていたら自分の人生がダメになってしまう」と感じるようであれば、迷いなく切り捨てることです。

なにをもって親が妨げになるかは個々人によるので、一般化はできません。

でも、親と子の人生は明らかに別物なので、まずは自分の人生をどうしたいか、最終的にはどう自立していくのかを、自分で決めることが大事だと思うんです。

そのうえで、これからの自分の人生に対して親はどう関わってくるのか、寄り添っていくのか切り離すのかを冷静に判断することは、悪いことではないと僕は思います。