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 ここで、ご結婚問題をおさらいする。始まりは2017年5月16日。NHKが、眞子さまが近く大学時代の同級生と婚約されるとスクープしたことで、眞子さまと小室圭さんが婚約する方向であることが、広く国民の知るところとなった。7月に起きた九州北部豪雨の影響もあり、実際に眞子さまと小室さんがご婚約内定の記者会見を行ったのは、9月3日のこと。眞子さまが小室さんについて「太陽のような明るい笑顔」に「惹かれた」としたのに対して、小室さんが「宮さまは私を月のように静かに見守ってくださる存在」と述べたことは記憶に新しい。

 この際、「民間人の光に照らされる月が皇族というのは不敬では」との意見も一部で出たが、“好青年”と映った小室さんの当初のイメージと、御代替わりという歴史的瞬間を前にした天皇皇后両陛下の初孫のご婚約内定という慶事の祝福ムードにかき消されるかのように、特段問題化することはなかった。お祝いムードに後押しされるように、ことはトントン拍子に進み、11月22日には一般の結納に当たる「納采の儀」が翌2018年3月4日に、結婚式が帝国ホテル東京で同年11月4日に執り行われることが正式に発表された。

 だが、その発表のわずか1カ月後、「週刊女性」2017年12月26日号が、小室さんの母・佳代さんが元婚約者の男性から400万円余りの借金をしていながら返済していないと報じたことを契機に、雲行きが変わる。

 借りたとされる金銭は小室家の生活費のほか、小室さん自身の大学の学費や留学費に充てられたものだったことから、年明け以降、借金報道が過熱してゆき、小室家が天皇家の親戚としてふさわしいのかを問う声まで出始めるに至る。

 そして宮内庁納采の儀まで1カ月を切った2月6日、納采の儀と結婚式を御代替わりの一連の儀式が終了する2020年に延期すると発表したのである。

 だが、小室家はその後も借金疑惑を放置するだけで具体的な動きは見せず、6月には突如、小室さんが米ニューヨークのロースクールに3年間留学をすることが明らかになる。8月7日に成田空港を発った小室さんは今日に至るまで、米国生活を続けている。こうした対応に、業を煮やした秋篠宮さまが誕生日を前にした11月22日、記者会見の席で「今でもその2人が結婚したいという気持ちがあるのであれば、やはりそれ相応の対応をするべき」と述べられたことは、大きなニュースとなった。

 秋篠宮さまが業を煮やしたのは、小室家の動きが鈍いからだけではないとされる。別の宮内庁関係者が語る。

眞子さまのご婚約内定は天皇陛下の許可、つまり『御裁可』を得たものです。今上天皇から許可を頂いた結婚は、中止の許可も次の天皇となられる兄君ではなく、今上天皇から頂くのが筋です。平成は4月で終わります。秋篠宮ご夫妻には時間がないのです。秋篠宮さまのいら立ちの背景には、そうしたこともあるはずです」

 一方、小室さんは1月22日、突如「借金問題は解決済み」とする文書を公表した。

「多くの国民は、『それ相応の対応をするべき』とする秋篠宮さまの問いかけに対する回答だと考えたはずです。しかし、読んでみると文書の内容はそうではありませんでした。小室さん親子が元婚約者と話をつけたという内容かと思ったら、元々借金ではなく贈与だったという従来の主張を、正式に文書にしただけのもの。肩すかしをくったと感じたのは私だけではないのではないでしょうか」(同前)

 そして、こう続ける。

「文書の内容で違和感を覚えたのは、秋篠宮さまの問いかけに答えていないことだけではありませんでした。文書は当初の好青年という小室さんの印象とはかけ離れた“冷徹さ”を感じさせるものだったからです。文中で小室さんは、母親の元婚約者に対して『ご厚意にたいへん感謝しておりました』『ご支援を受けたことには今も感謝しております』と綴る一方で、『一方的な申し入れ』『説明をしていただけなかった』『確認事項に反する突然の要求』とチクチクと批判を繰り返しています。言葉は悪いですが、感謝の言葉が表面的で上滑りしているという印象はぬぐえませんでした」

「これでは、秋篠宮さまの出された“課題”への回答にはなっていません」

 とは、宮内庁担当記者。昨年11月30日のお誕生日に先立って行われた会見で秋篠宮さまが、

〈(小室さん側が)それ相応の対応をするべきだと思います。(そうでなければ)婚約にあたる納采の儀は行えません〉

 そうした強い言葉で“最後通牒”を突き付けておられたのは、記憶に新しい。

「そもそもトラブル発覚直後から、小室さんと佳代さんは秋篠宮家との話し合いを続けており、そこで秋篠宮さまは『経済的な安定を得るべく転職も含めて進路を示す』『金銭トラブルを何らかの形で解決する』という、二つの課題を示されました。ですが、その後の進展はまるでなく、しびれを切らしたように会見の場で“ダメ出し”をなさった格好となったのです」(同)

 年が明けてもなお、小室家側が引き続き“ゼロ回答”を継続中であることは週刊新潮1月24日号でも報じた通りだ。

秋篠宮さまが求めておられるのは、国民が納得する説明とともに、トラブルの相手方と話し合って円満に解決する方策です。あらためて『贈与だった』『解決済み』といった“回答”をされても、何の意味もなさないのです」(同)

 そうした“3年越しの難題”に苛まれ続ける秋篠宮家は、一方で次代の「皇嗣家」として存在感がいや増すばかり。御所の事情に通じるさる人物によれば、

「皇后さまは最近『歴史上“皇嗣家”が作られるというのは初めてのことです。私ももちろん、秋篠宮や紀子にとっても、これは同じです』と、あらためて周囲に漏らされています」

 これは、次代を担われる皇太子さまご一家に引けを取らないほど、今後の秋篠宮家の置かれるお立場が重くなるというご趣旨だというのだが、この人物によれば、皇后さまは続けて次のように仰っていたという。

皇嗣家の中には、皇位継承権を持つ男性皇族が2人いることになります。皇室全体で支えるという意味においては、従来の東宮家以上に大切ですし、一方で、皇位を継いでいく者としての立場も出てきます〉

東宮家では、雅子もまだ万全ではありません。手を差し伸べればもちろん応答はありますが、本当にお仕事が全てできる状況には至っていない。そうした中で、次代の両家にはどう接していけばいいのか、考えてしまう時があるのです〉――。

 現行の皇室典範では、将来の皇統は秋篠宮家の悠仁さまを起点とし、連綿と続いていくことになる。そうした点に鑑みれば、皇嗣家がいっそう重みをまとっていくのは自明の理である。

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