https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

見方を変えれば、西郷が、血腥い波乱万丈のテロと弾圧の時代を、無傷で生き延びられたのは、島流し時代があったからだとも言える。おそらく、島津斉彬時代のように中央政界で活躍していたら、生き延びることは不可能だったかもしれない。その島津久光の信頼を勝ち得て、その片腕として活躍していたのが大久保利通だった。西郷と大久保は「 幼馴染 み」であり「 親友 」だったというのが定説だが、私は、その説に懐疑的だ。私は、西郷と大久保の関係は、もっと微妙なものだったと思う。島津斉彬時代は、西郷と大久保の間には大きな隔たりがあった。東大卒の超エリートと地方大卒の田舎のエリート。しかし、島津久光時代になって立場は逆転する。大久保jは島津久光の側近中の側近、西郷は島流し。ともあれ、征韓論から西南戦争にいたる大久保利通の言動を見ていると、大久保の中に「 西郷コンプレックス」とでも言うべき複雑な感情があったのではないかと私は思う。大久保は「小細工」の出来る秀才ではあったが、「大事」は苦手だった。大久保は、行き詰まると、その度に、西郷を呼び、西郷の力と人望を借りなければならなかった。

d1021.hatenadiary.jp