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西郷南洲もモーゼも「歩く人」だった。死ぬまで「歩き続けた人」だった。目的地があって歩くのではなく、「歩くこと」自体が、彼らの目的だった。

歴史を、目的論や結果論でしか考えない歴史学者通俗的物語作家たちは、西郷南洲を、正当に論じることが出来ない。西郷南洲は、明治維新においては大成功者だったが、西南戦争においては大失敗者だった、というのが彼等の西郷南洲論の定番である。

むろん、二人の西郷南洲がいるわけではない。西郷南洲は、同じ一人の人間である。

この「矛盾だらけの西郷南洲 」をどう描くか、それが問題だろう。小林秀雄の遺作『 正宗白鳥の作について』を読んでいる時に、イギリスの伝記作家リットン・ストレイチーの興味深い話が出て来た。ストレイチーは、こういう趣旨のことをいっているらしい。《優れた評伝を書くためには、資料だけでは駄目だ。「魂の独立 」による「明確なる人格」の発見が必要だ。》つまり、こういうことだろう。西郷南洲という「矛盾だらけの存在 」を、正当に理解するためには、西郷南洲に匹敵するような天才的頭脳と行動力を備えた人間である必要があるのではないか、と。西郷南洲を絶賛する中江兆民福沢諭吉内村鑑三頭山満三島由紀夫江藤淳・・・、そして西郷南洲を「西郷さん 」と愛着と尊敬をこめて呼ぶ一般庶民。

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井上清は 、冒頭に、

西郷隆盛は矛盾に満ちた英雄である。》( 『西郷隆盛 』)

と書いている。だが、その後の文章で、こうも書いている。

《私は、西郷の個性と階級性と時代との相互作用・関連を統一的にとらえることによってのみ、彼の矛盾した全体を解釈できると考える。また彼を天性の偉人として絶対視することなく、彼自身が幾たびか辛酸をへて志はじめて堅し、という通り、彼も苦難の闘争のうちに成長したのであり、あるときはすばらしく前進するが、またある時は、たいへんな後退もしたという事実を、すなおにみとめなければならないとと考える。》

さて、そこで、井上清の『西郷隆盛 』論が主題的テーマとしてとりあげるのは、二度の流刑時代の西郷南洲である。私は、厳密に検証していないが、井上清によれば 、この流刑時代の西郷南洲については、ほとんど触れられてこなかったという。つまり、井上清が、初めて 、この流刑時代を、本格的に取り上げ、論じたという。その証拠に、井上清は、『 西郷隆盛(上 )』の3分の2のページを使って、流刑時代の西郷南洲を詳しく描き、論じている。

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古来、英雄とか偉人とか
いわれる偉大なる人を見ますと、
二つの一見矛盾するがごとき二者を
小人や俗人のとうてい
解すべからざる程度に持っています。

それが自然にいうにいえない
一個の魅力ある風格となって、
今日多くの心ある人を
惹きつけているゆえんであります。

普通の人間はつまり
一見相矛盾するがごとき
二つの魂を統一して
大きく抱懐することができない。

そのいずれかに軽々しく偏して、
意気地のない、
あるいは杜撰【ずさん】な生活を
しているものであります。

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 ここに知識人の変わらぬ悲哀がある。いくら神学を勉強しても信仰が深くなるわけでもない。あるいはだんだん神から遠ざかるであろう。いくら科学を研究しても、安心立命が得られるわけではない。あるいは自己を喪失することもあろう。魂の感動に基づかねば真の生命を得ることはできない。

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こういう時、歴史学者は無能、無力である。彼等は、西郷南洲を歴史的人物として実証的に描くことは出来ても、西郷南洲の人格も西郷南洲の精神も、西郷南洲の哲学も描くことは出来ない。

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世間には波があって、浮き沈みするものだと悟って下さい。
それが「まこと」を悟ったことになるのです。
喜びを悦びとし、悲しみを哀しみとして、素直に受け止めることです。
これが「まこと」を貫いて生きることになるのです。

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彼は、善悪も畢竟、相対的な現相に過ぎない。本来、性の活動である事を了得し、外物の存在に拘泥する域をはるかに離れた表現に達しています。いはば、神秀は未だ二乗の域を脱せず、盧行者は大乗の域に突き進んだものです。弘忍は深くこの青年行者の悟境に許しました。そして、次の日そっと彼を訪ねると彼は米搗き部屋で石に腰かけて米を搗いておりました。弘忍はその解行の円満に大いに感服して、ついにこの無名の青年行者を一躍、六祖に抜擢しました。これこそ慧能禅師であります。

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最後にゲーテの言葉。

 「いつかはゴールに達するような歩き方ではなく、
  一歩一歩がゴールだという、
  そういう生き方をしなければならない」

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