三重県を訪問している天皇皇后両陛下は、今月30日の天皇陛下の退位を前に、18日、皇室の祖先をまつる伊勢神宮に参拝する儀式に臨まれましたhttps://t.co/BeujGoPMrS#nhk_news #nhk_video pic.twitter.com/iLrXJJcSKf
— NHKニュース (@nhk_news) 2019年4月18日
17日から三重県を訪問している両陛下は、18日午前、衣食住や産業の守り神がまつられる伊勢神宮の外宮にお一人ずつ参拝されました。
はじめに、モーニング姿の天皇陛下が、外宮の中心の正殿がある正宮の前で、皇位継承の象徴とされる三種の神器の剣と曲玉とともに車を降りられました。そして、正宮の中に入り、正殿の前で玉串をささげて拝礼されたということです。
白の参拝服姿の皇后さまも、玉串をささげて拝礼されたということです。
両陛下は、午後には、皇室の祖先の「天照大神」がまつられる伊勢神宮の内宮にそれぞれ参拝されました。
天皇陛下は車に乗って玉砂利が敷き詰められた参道をゆっくりと進み、途中、伊勢神宮の関係者や地元の子どもたちが整列して迎えると、会釈をするなどして応えられました。
天皇陛下は、「天照大神」がまつられる正殿がある正宮に続く階段の前で車を降り、剣と曲玉を持った側近の職員とともに階段をのぼられました。そして、正殿の前で、玉串をささげて拝礼されたということです。
このあと、皇后さまも玉串をささげて拝礼されたということです。
18日の伊勢市は晴天に恵まれ、内宮と外宮の間の沿道では大勢の人たちが小旗を振るなどして両陛下を歓迎しました。
両陛下の車列はスピードを落として歓迎する人たちの前を進み、天皇陛下と皇后さまは窓をあけて手を振って応えられました。
伊勢神宮の参拝を終えた両陛下は、午後4時半前、内宮を出発し、宿泊先のホテルがある志摩市の賢島に向かわれました。
近鉄宇治山田駅の前には、何重にも人垣ができ、大勢の人たちが手や小旗を振って見送ると、両陛下は何度も左右を見渡しながら笑顔で手を振って応えられました。
そして、私鉄の専用列車で近鉄賢島駅に到着し、午後5時半すぎ、宿泊先のホテルに向かわれました。
18日夜は、伊勢神宮の主な祭りをつかさどる「祭主」を務め、18日の儀式にも立ち会った長女の黒田清子さんや、伊勢神宮の関係者と夕食をともにし、ねぎらわれるということです。
両陛下にとって、これが天皇皇后として最後の地方訪問になり、19日、東京に戻られることになっています。
宮内庁は憲政史上初めてとなる天皇陛下の退位に関する一連の儀式について、天皇陛下のお気持ちを踏まえて、全体として粛々と静かに執り行うことにしています。
天皇陛下は、即位にあたって平成2年11月に伊勢神宮に参拝する儀式に臨んだ際には、古くから儀式での天皇の装束とされる「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」を身につけ、儀式用の馬車に乗って参道を進まれました。
一方、天皇陛下の退位に伴う今回の儀式の式次第は、即位の時の枠組みを基本に天皇陛下のお気持ちに沿ってまとめられ、天皇陛下はモーニングを着用し、移動には車を使って参拝に臨まれました。
このような若さで即位した理由を説明するために皇太子になった経緯をたどると、「懐風藻」によれば、持統天皇が皇位継承者である日嗣(ひつぎ)を決めようとしたときに、群臣たちがそれぞれ自分の意見を言い立てたために決着がつかなかった。その際に葛野王が、「わが国では、天位は子や孫がついできた。もし、兄弟に皇位をゆずると、それが原因で乱がおこる。この点から考えると、皇位継承予定者はおのずから定まる」という主旨の発言をしたとされ、ここで弓削皇子が何か発言をしようとしたが、葛野王が叱り付けたため、そのまま口をつぐんでしまったとされる。
持統天皇は、この一言が国を決めたと大変喜んだとされる。
天武天皇の皇太子であった草壁皇子の長女として生まれる。母は阿閉皇女(のちの元明天皇)。天皇の嫡孫女として重んじられたようで
#天皇家