最近確認され、その巨大さに驚きが走った出雲大社の造営は六五九年(斉明五)に始まったものだが、それはおそらく六七二年の近江内戦勝利後、天武が仕上げ、さらに巨大化したものである。天武の時代は伊勢神宮の建築を含め巨大な宗教事業が行われた時代で、都城だけを強調するのはピンボケである。
— 保立道久 (@zxd01342) 2019年4月25日
出雲神話の問題については、最近、菊地照夫『古代王権の宗教的世界観と出雲』がまとめられており、それによって詳しく議論することが必要であるが、こういう経過の中で出雲国が「律令制神祇体制のモデル地区」となって一八〇を超える官社が七世紀末にはできあがっていたという。
— 保立道久 (@zxd01342) 2019年4月25日