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重野の「 学問 」と西郷の「学問 」は、大きく隔たっていた。わかりやすく言うと、重野の「 学問」は、学校で学んだ、「机上の空論」的な「 学問」であったが、西郷の「学問 」は、実践的な場で学び 鍛えられた「 学問」だった。この差は、今も昔も変わらない。重野の物の言い方や人物論には、「上から目線 」の物の言い方や人物論が、感じられるのは、その差を意識していたからだろう。昌平黌で学んだ学校秀才と、現場や人間関係で鍛えられながら「学問 」を身につけた田舎秀才。
具体的に言うならば、重野の学問は、昌平黌の学問が象徴するように、体制擁護の「朱子学」であり、西郷の学問は、反体制的な「革命哲学としての陽明学」( 三島由紀夫)であった。重野が西郷の学問を毛嫌いし 、偏った学問と看做すのは当然と言えば当然だろう。それ故に、重野安繹は、恵まれた環境や人間関係の中にいたにも関わらず、めぼしい成果や実績をあげる事が出来なかった。単なる博学な物知りで、人生を終えたように見える。
おそらく西郷も、同僚として交流しながら、重野という「学校秀才」に一目を置いていたであろうが、同時に、表面的な学問はあるが、その学問が身についていない軽薄才子としてしか見ていなかったのではないか。

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