私は、大久保利通暗殺事件が、薩軍( 西郷軍)の残党やその仲間同士たちによって、引きおこされたのではなく、遠く離れた石川県士族たちによって引き起こされたというところに、重大な意味があると思う。陸義猶や島田一郎らもまた、新しい近代政治を模索しているグループだった。決して、単なる不平士族であり、江戸幕府的な、士族封建国家の復活を目指していたわけではない。むしろ、大久保利通政権の「政治」こそ、反近代的な「独裁恐怖政治」であり、「秘密警察国家」であった。陸義猶や島田一郎等は、「独裁恐怖政治」でもなく、「言論弾圧」や「スパイ網」を張り巡らして、人民=民衆を強権支配する「秘密警察国家」でもない、もう一つの政治を目指していたのである。陸義猶の書いた「斬奸状」の冒頭には、「国会開設」が要求されている。大久保利通の「政治」が、「開明的・近代政治」であり、西郷南洲、桐野利秋、陸義猶、島田一郎等の「政治」は、守旧派の「士族封建政治」だったかのように描く司馬遼太郎の歴史解釈( 司馬史観)は間違っている。ホッブス、ロック、ルソーらによって確立された近代の政治思想は、「自由」、「平等」、「博愛」の政治であり、その中心概念は「抵抗権」だった。大久保利通や川路利良等の「政治思想」には、「抵抗権」という思想はなかった。むしろ逆に、西郷南洲や桐野利秋、島田一郎等の「政治思想」には「抵抗権」はあった。福沢諭吉が、『丁丑公論(ていちゅうこうろん)』で、西郷南洲を擁護したのは、そこに、国民・民衆の「抵抗権」を認めたからである。