西郷は、大学や大学院で学ぶような知識や技能だけの学問ではなく、人と人とが接し、ぶつかり会うことによって、以心伝心で伝達されるような学問を学び、身につけて行ったと言っていい。西郷が、先輩や友人達から学んだ学問や思想は、活きた学問であり、活きた思想であった。西郷が、「つけやいば」の浅薄な知識や教養を振り回すだけの軽薄才子たちを軽蔑し、批判したのは、西郷に学問がなかったからではない。西郷の学問は「活きた学問 」だったが、軽薄才子たちの学問は「死んだ学問 」だったからだろう。西郷は、「人の好き嫌いが激しかった」と重野安繹は言うが、おそらく正しいだろう。西郷は、空理空論を振り回し、大言壮語する軽薄才子たちのことが、あまり好きではなかった。嫌いだった。