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当時の学問の定石的性質が、林家の官学となって、そのまま固定化し形式化したという事は、成るほど詰らぬ事だが、近世の我が国の学問の真価は、民間学者達の官学への攻勢にあらわれたとするのが、誰もが言う通説なのである。だが、大事なのは、彼等が、どう勝負して、どう勝ったかにある。彼等は「 邪説を学ぶ 」者とされたが、彼等にしてみれば 、邪説を学ぼうにも、凡そどんな学問上の新知識も手に入れることが出来ない状態に置かれていたのであり、言わば鎖国という盤上に、奇計鬼手を用いる余地は全くなかったのである。

 京都市上京区の住宅解体工事の現場に、大久保利通の茶室「有待庵(ゆうたいあん)」が残っていたことが確認された。市が30日発表した。幕末に大久保が住んでいた旧邸跡にあり、工事中に歴史研究者が発見し、市に連絡。市は所有者から部材などの寄付を受け、移築した上で保存・活用する方針だ。

 有待庵をめぐっては、大久保の三男利武氏による1942年の講演記録で、大久保が1866年に邸宅を構えた際、薩長同盟が結ばれたとされる薩摩藩家老、小松帯刀(たてわき)邸「御花畑(おはなばたけ)」から移築されたことは分かっていたが、その実在は未確認だった。有待庵は薩長同盟以降の政治的な密議の場となり、岩倉具視とも会談していたとされる。

 市文化財保護課によると、有待庵は約3畳の平屋建て。アカマツの床柱など古材が使われている。同課は歴史的価値が高いとみて、所有者に工事を一時止めてもらい、市の予算で移築を前提に解体する方針を決めた。今後、移築先を探し、保存や活用のための費用は寄付を募る。

 京都市の歴史研究者、原田良子さん(52)が5月上旬、解体工事現場を通りかかった際に茶室が残っているのをみつけた。報告を受けた市が5月20日に現地を訪れて実在を確認した。

 利通のひ孫の大久保利泰(としひろ)さん(84)=東京都在住=は「1959年ごろ、住宅を手放す直前に1度だけ数日間泊まりに行ったことがあり、茶室にも入った。その後はどうなったかは分からなかったが、思いがけないことで感謝しています」と話す。

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