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裁判員裁判が開かれるのは地方裁判所での1審のみに限られています。被告側か検察のどちらかが判決を不服として控訴した場合、2審の高等裁判所では裁判官だけで審理されます。

裁判員裁判によって出された1審の死刑判決の多くは2審でも維持されていますが、破棄されたケースもこれまでに5件あり、いずれも無期懲役とされました。

日本の刑事裁判は3審制で、被告の生命に関わる究極の刑罰である死刑の適用は最大限慎重な手続きが求められます。

一方で裁判員制度の導入にあたって、最高裁司法研修所は2審の審理の在り方について「1審の判断は裁判員と職業裁判官とが力を合わせて行うもので、市民感覚が反映される。それにより司法への信頼が高まることが裁判員制度導入の意義であり、2審としては、1審で市民感覚が反映された結果をできるかぎり尊重しつつ審査にあたる必要がある」という見解を公表しています。

2審が裁判員裁判の死刑判決を覆すことに対しては市民感覚を無視しているという批判が少なからずあります。これまで破棄された5件のケースで2審はいずれも、過去の判例と照らし合わせると死刑は重すぎて公平性を欠くという判断を示しています。

裁判員裁判の導入は日本の刑事司法を激変させました。一方で、裁判員制度の導入から10年たっても変わらないものの1つに、死刑かどうかを判断する際に検討されるいわゆる「永山基準」があります。

永山基準」とは、昭和58年に最高裁が死刑を適用するかどうかを判断する基準として示し、現在も死刑判断では必ず検討されます。殺害された被害者の人数や、犯行の悪質さ、犯行の動機など、9つの項目があげられ、これらを考慮したうえでやむをえない場合に死刑の選択が許されるとされています。

今回のシリーズの1回目で取材した東京地方裁判所のあるベテランの裁判長に、裁判員市民感覚によって永山基準が変わることはないのか尋ねたところ、変わっていくべきだという意見を持っていました。

この裁判長は「裁判員の発想によって永山判決に書かれている要素以外のことをちゃんと考え、死刑方向になるのか、死刑回避の方向になるのか、どちらかはわからないが、重点を変えた判決がそのうち出てくるはずだと思っているし、そうあるべきだと思っている。法律家は永山基準がすべてだというミスリードはやめたほうがいい。過去に決まったルールがすべて支配するようでは、裁判員裁判を何のためにやっているか分からなくなる。裁判員の方には、永山基準とは別の要素でもっと重要だと思う要素があれば、ぜひ意見をお願いしたいと思う」と話していました。

裁判員制度の導入は“人質司法”と批判されてきた保釈制度の運用にも大きな影響を与え、この10年で保釈率が倍増しています。

6月18日(火)午後10時からのクローズアップ現代+で激変する保釈の現場を詳しくお伝えします。

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