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 雅子さまは海外にいたときこそ、日本語を忘れないようにと補習塾に通ったことがあったが、帰国してからは編入試験の準備以外に、学習塾に行ったことはない。家庭教師がついたことは一度もなければ、母親の優美子さんが付きっきりで勉強を見たということもなかった。励行していたのは、その日に学校で習ったことの復習と宿題だけだという。

「母親の優美子さんは、几帳面な方で日常生活もきちんとしていました。部屋はいつも整頓され、家具や食器などの置き方にもこだわりがありました。お嬢様たちには、小さい頃から勉強をしなさいとはあまり言わなかったようです。ただ、テレビはニュースやセサミストリートなど見たいものだけを決めて、1日1時間以上は見せなかったとか。おもちゃや雑誌、漫画などといったものはほとんど買い与えずに、お誕生日やクリスマスなどの特別な日に限って思い出に残るプレゼントをされたそうです。

 ご両親は、お嬢様たちがなさりたいことをすぐに否定するようなことはなく、自由にのびのびとした教育を本当に心掛けられていました。自由というのは野放しにすることなどではなく、反対に親が目を配ったりしなくてはならないものです。親は子どもを信じ手本となるように心掛けていらっしゃったと思います。お嬢様たちもこのようなご両親の姿勢を身近に見てこられて、勉強に限らず学ぶ楽しさやその必要性を感じられたのではないでしょうか」

 子どもの自主性を尊重しながら「教育」するには忍耐がいる。放任するのはたやすいが、時に道をさし示しながらしっかりと見守りつづけることは、より多くの我慢強さを求められることが多い。優美子さんが周囲に語っていた「常に緊張して歩いてきた」という言葉のなかには、子どもの教育に対する正直さとひたむきさが感じられる。

 そんな教育方針のなかで雅子さまも自分の体調に合わせて自然と早起きをして勉強することが習慣になっていたという。当然、宿題だけではなく予習や復習もし、ソフトボールの朝の練習にも参加した。

 担任教師は当時のことを印象深く憶えている。

「小和田さんは成績こそ良かったのですが、いわゆるガリ勉ではありませんでした。学校生活を楽しんでいるといった感じで実にのびのびとしていました。いつも女子生徒たちのなかで微笑んでいたのが印象的です。女子生徒に特有の大声ではしゃぐといった感情的な面はなく穏やかで冷静でした。最近会った当時の生徒たちも『オワはいったい何時、勉強していたのかしら』と話していました。頑張っている姿をそんなに見せずに軽くこなしていくという品の良さがありましたね」

「これからの時代は、女性の幸せは結婚だけではなく一生続けられる仕事を持つべきだというのが、ご夫婦の考え方でした。特に恒氏はその思いが強く職業は何でも良いけれども社会に貢献できるような人生であって欲しいと願っていたようです。お子様たちも自然にそんなことを考えるようになって、好きな仕事に就けるよう努力して、いつか良い方と結婚すればいいというようなことをご家族で考えていたと思います」

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