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 2002年8月、当時の天皇皇后と皇太子ご夫妻、愛子さま秋篠宮ご夫妻、眞子さま、佳子さまがそろって三井浜を散策されたことがある。雅子さまが長期療養に入られる前のことだ。御用邸から浜辺には、雅子さまが運転する車で皇太子と愛子さまが到着されたという。

 ご成婚前は、雅子さまが外務省に車で通勤する姿が話題となり、雅子さまの愛車はトヨタ・カローラ2と報道された。ご静養中、雅子さまは近年も車を運転されることがあったようだ。

 皇太子時代のご一家は目の前に広がるプライベートビーチ状態の海でシュノーケリングを楽しまれていたという。愛子さまのご友人が合流して、一緒にサイクリングなどをなさっていたこともあったようだ。

 愛子さまにとっては高校生活最後の夏休み。帰京された8月5日、白いサンダルにダーク系のロングワンピースをお召しになって、すっかり大人びた雰囲気だった。だが、東京駅で出迎えた人々から声をかけられると、健康的に日焼けをされた愛子さまはにっこりと笑顔を見せられた。

「彼女は、世情にはうとくてどこか浮世離れしたようなところがあった。お嬢さま特有の脇の甘さというのかもしれません。与えられた仕事は実に優秀にこなすんですが、その先をどうやって判断していくかという外交の本質の部分は、まだこれからという重要なときでした。確かに、二世官僚、学歴、美人、お妃候補などと入省したときから目立ちすぎたため、そんな彼女に必要以上の期待とジェラシーといった厳しい目が向けられることがあったのも事実です。

 仕事には、勉強とちがって周りの状況を見たり、タイミングを計ったりすることも必要となってくる。自分が努力した分だけ結果が返ってくるとは限らないものですよ。人間関係もうまくやらなくては能力を生かせないときもあるし、スランプからうまく抜け出すためにはコツもいる。お育ちの良いのんびりした性格と神経質なほど几帳面な性格。どちらも私の目に映った雅子さまなのですが、この大きな隙間に他人からの批判と攻撃が入り込む余地がある。霞が関村は人間関係の恐いところですからね。彼女のことを『ノンキャリの女性よりも仕事が出来ない』などと陰口を叩く人までいたようです」

 この同僚は、外交官としての雅子さまに期待を寄せていた。

「しかし、彼女はとても頭が良かったし、努力家だから、そんな暗雲から抜け出して、次のステップに行こうと本人なりに必死にもがいている感じでした。私は、数少ない皇室入り反対派だったから、ここで踏ん張っていただきたいなとも思いました。あの枠にとらわれない芯の強さと生真面目さと情の深さは、次世代の新しい外交官になったかもしれないと今でも思っているぐらいです」

 実際、外務省官僚として目に見える実績もつくった。北米二課はアメリカとカナダとの経済や貿易の懸案を処理する部署だが、日米構造問題協議、半導体協議、外国人弁護士問題、米国独禁法の域外適用問題などに関わっていた。深夜12時を過ぎるとさらにエネルギッシュになる雅子妃に対して、職場では深夜12時を“小和田タイム”と呼んでいた。

 たとえば、竹下登元首相の日米環境セミナーの基調講演の素案を作ったことがあった。政府要人の外交交渉でも通訳を務め、その通訳ぶりは評価された。

 前出の同僚はこう見ていた。

「通訳をしても、ただ言葉だけを追うのではなく、相手の表情や話しかたから何を考えているのか、一歩踏み込んで読み取っていました。心理を読むのに実に敏感で長けていました」

 皇室入りが決まったときには、こうした華々しい経歴や外交官であった側面は、国民から大いに期待を持たれたのである。明敏で美しいお妃が誕生したことを、国民の誰もが晴れやかな気持ちで祝福したことを忘れてはならないだろう。

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