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 おそらく多くのユーザーが誤解しているのは「スライドドアのミニバンは高齢者にやさしい(乗り降りしやすい)」ということだろう。たしかにリタイヤしたばかりの、まだまだ若々しさもある60代であれば、スライドドアのミニバンに乗り降りするのに苦労はないだろう。いまや後席の乗降を助けるアシストグリップは当たり前の装備となっているし、なんならオプションでステップをつけることもできる。しかし、スライドドアというのは、その構造からフロアが高くなり、座面も高い。そのため、動線としてはクルマに対してまっすぐに乗り、車内で向きを変えてシートに腰を下ろすというものになる。これは、ある程度の年齢を重ねた高齢者には厳しい動きとなる。

 個人差もあるので年齢を目安にすることは難しいが、後期高齢者と呼ばれる頃になると立つことよりも座ることが難しくなるのだ。また、足も高く上げるのは難しくなる。つまりスライドドアのミニバンは乗りづらくなる。むしろ、座面が適度に高いヒンジドアのクルマのほうが乗り降りしやすい。具体的にはスズキ・ワゴンRやホンダN-WGNといったハイトワゴン系の軽自動車が乗りやすのだ。こうしたクルマであれば高齢者と向かい合って体を支えて、乗り降りを介助しやすい。また、軽自動車であればドアを全開にしやすいというのもメリットになる。

非電動のスライドドアというのは意外に開閉に力が必要だ。

 最後に、スライドドア車を選ぼうというユーザーが意識しておきたいのは、ヒンジドア車との価格差だ。ドアを含むボディ以外のメカニズムがほとんど共通の軽自動車で比較してみよう。たとえば、ホンダN-BOXの価格帯は1,385,640円~1,949,400円(FF)、それに対してN-WGNの価格帯は1,274,400円~1,663,200円(FF)となっている。装備差などもあるので単純比較は難しいが、「Custom G・L ターボ」という同じ名前のグレードで比較するとN-WGNが1,663,200円、N-BOXは1,895,400円と20万円以上も異なるのだ。予算的にこの差を許容できるのであれば問題ないが、スライドドアの上乗せ分はけっして小さくはない。

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岩手県の「早野ファーム ほおずきんちゃんジャム」
秋田県の「ガリカ薔薇ジャム」
高知県の「しまんと地栗ジャム」
・宮崎県の「100%串間産のマンゴージャム」

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千葉県は、台風15号による停電で被害を受けた県内の41市町村に対し、救助活動などでかかった費用を国と県が負担する「災害救助法」を適用することを決めました。

災害救助法が適用されるのは、12日の午後3時前の時点で停電中だった県内の41の市町村です。

これらの市町村に対しては、台風による被害が発生した今月9日にさかのぼって、停電の発生に伴って行った避難所の設置や、食料や飲料水の確保などといった費用の全額について、国と県が負担することになるということです。

千葉県内で災害救助法が適用されるのは、平成25年に台風に伴う水害で茂原市に適用して以来、およそ6年ぶりだということです。

これを受けて日本航空は、特殊な液体を温めて航空機の翼にかけ、付着した雪をとかす機能を持つ特殊車両のうち、まだ一度も使われたことのない新車を成田空港から派遣しました。
車両が施設に到着すると、タンクの中で水を50度ほどに温めたあと、ホースなどを使って浴槽に注ぎ、スタッフが早速、バケツにお湯を移してお年寄りの足を洗っていました。

平安時代の都、平安京の、南端の通りの「九条大路」と、城壁の一部とみられる跡が、京都市での発掘調査で初めて確認されました。調査をした研究所は、平安京の全体像の解明につながると話しています。

この発掘調査は、京都市埋蔵文化財研究所が、京都市南区の高校の跡地で、去年12月に始めました。

調査では、平安時代に整備された大きな路面が見つかり、過去の文献などから、平安京の南の端を東西に走る「九条大路」とみられるということです。

道の両側には、幅1メートル余りの側溝が見つかり、その結果、当時の道幅は30メートルほどあったことがわかったということです。

また、道の南側には、「羅城」と呼ばれる平安京の城壁の一部とみられる、土台の跡も見つかりました。

その結果、城壁は、都の玄関口の羅城門の西側、600メートルほどの場所まで続いていたことがわかったということです。

京都市埋蔵文化財研究所の南孝雄調査課長は、「これまで数千件行われた平安京の発掘調査のなかで、九条大路や羅城と見られる跡が確認されたのは初めてで、平安京の全体像を考える上で重要な成果だ」と話しています。