https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

#あいちトリエンナーレ

d1021.hatenadiary.jp
d1021.hatenadiary.jp

ja.wikipedia.org

www.courts.go.jp

 2 このような観点からすると、集会の用に供される公共施設の管理者は、当該公共施設の種類に応じ、また、その規模、構造、設備等を勘案し、公共施設としての使命を十分達成せしめるよう適正にその管理権を行使すべきであって、これらの点からみて利用を不相当とする事由が認められないにもかかわらずその利用を拒否し得るのは、利用の希望が競合する場合のほかは、施設をその集会のために利用させることによって、他の基本的人権が侵害され、公共の福祉が損なわれる危険がある場合に限られるものというべきであり、このような場合には、その危険を回避し、防止するために、その施設における集会の開催が必要かつ合理的な範囲で制限を受けることがあるといわなければならない。そして、右の制限が必要かつ合理的なものとして肯認されるかどうかは、基本的には、基本的人権としての集会の自由の重要性と、当該集会が開かれることによって侵害されることのある他の基本的人権の内容や侵害の発生の危険性の程度等を較量して決せられるべきものである。本件条例七条による本件会館の使用の規制は、このような較量によって必要かつ合理的なものとして肯認される限りは、集会の自由を不当に侵害するものではなく、また、検閲に当たるものではなく、したがって、憲法二一条に違反するものではない。

 そして、このような較量をするに当たっては、集会の自由の制約は、基本的人権のうち精神的自由を制約するものであるから、経済的自由の制約における以上に厳格な基準の下にされなければならない

 3 本件条例七条一号は、「公の秩序をみだすおそれがある場合」を本件会館の使用を許可してはならない事由として規定しているが、同号は、広義の表現を採っているとはいえ、右のような趣旨からして、本件会館における集会の自由を保障することの重要性よりも、本件会館で集会が開かれることによって、人の生命、身体又は財産が侵害され、公共の安全が損なわれる危険を回避し、防止することの必要性が優越する場合をいうものと限定して解すべきであり、その危険性の程度としては、前記各大法廷判決の趣旨によれば、単に危険な事態を生ずる蓋然性があるというだけでは足りず、明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要であると解するのが相当である最高裁昭和二六年(あ)第三一八八号同二九年一一月二四日大法廷判決・刑集八巻一一号一八六六頁参照)。そう解する限り、このような規制は、他の基本的人権に対する侵害を回避し、防止するために必要かつ合理的なものとして、憲法二一条に違反するものではなく、また、地方自治法二四四条に違反するものでもないというべきである。
 そして、右事由の存在を肯認することができるのは、そのような事態の発生が許可権者の主観により予測されるだけではなく、客観的な事実に照らして具体的に明らかに予測される場合でなければならないことはいうまでもない。
 なお、右の理由で本件条例七条一号に該当する事由があるとされる場合には、当然に同条三号の「その他会館の管理上支障があると認められる場合」にも該当するものと解するのが相当である。
四 以上を前提として、本件不許可処分の適否を検討する。
 1 前記一の4の事実によれば、本件不許可処分のあった昭和五九年四月二三日の時点においては、本件集会の実質上の主催者と目されるG派は、関西新空港建設工事の着手を控えて、これを激しい実力行使によって阻止する闘争方針を採っており、現に同年三月、四月には、東京、大阪において、空港関係機関に対して爆破事件を起こして負傷者を出すなどし、六月三日に予定される本件集会をこれらの事件に引き続く関西新空港建設反対運動の山場としていたものであって、さらに、対立する他のグループとの対立緊張も一層増大していた。このような状況の下においては、それ以前において前記一の4(一)のように上告人らによる関西新空港建設反対のための集会が平穏に行われたこともあったことを考慮しても、右時点において本件集会が本件会館で開かれたならば、対立する他のグループがこれを阻止し、妨害するために本件会館に押しかけ、本件集会の主催者側も自らこれに積極的に対抗することにより、本件会館内又はその付近の路上等においてグループ間で暴力の行使を伴う衝突が起こるなどの事態が生じ、その結果、グループの構成員だけでなく、本件会館の職員、通行人付近住民等の生命、身体又は財産が侵害されるという事態を生ずることが、客観的事実によって具体的に明らかに予見されたということができる。
 2 もとより、普通地方公共団体が公の施設の使用の許否を決するに当たり、集会の目的や集会を主催する団体の性格そのものを理由として、使用を許可せず、あるいは不当に差別的に取り扱うことは許されない。しかしながら、本件において被上告人が上告人らに本件会館の使用を許可しなかったのが、上告人らの唱道する関西新空港建設反対という集会目的のためであると認める余地のないことは、前記一の4(一)(2)のとおり、被上告人が、過去に何度も、上告人A1が運営委員である「泉佐野・新空港に反対する会」に対し、講演等のために本件会館小会議室を使用することを許可してきたことからも明らかである。また、本件集会が開かれることによって前示のような暴力の行使を伴う衝突が起こるなどの事態が生ずる明らかな差し迫った危険が予見される以上、本件会館の管理責任を負う被上告人がそのような事態を回避し、防止するための措置を採ることはやむを得ないところであって、本件不許可処分が本件会館の利用について上告人らを不当に差別的に取り扱ったものであるということはできない。それは、上告人らの言論の内容や団体の性格そのものによる差別ではなく、本件集会の実質上の主催者と目されるG派が当時激しい実力行使を繰り返し、対立する他のグループと抗争していたことから、その山場であるとされる本件集会には右の危険が伴うと認められることによる必要かつ合理的な制限であるということができる。
 3 また、主催者が集会を平穏に行おうとしているのに、その集会の目的や主催者の思想、信条に反対する他のグループ等がこれを実力で阻止し、妨害しようとして紛争を起こすおそれがあることを理由に公の施設の利用を拒むことは、憲法二一条の趣旨に反するところである。しかしながら、本件集会の実質上の主催者と目されるG派は、関西新空港建設反対運動の主導権をめぐって他のグループと過激な対立抗争を続けており、他のグループの集会を攻撃して妨害し、更には人身に危害を加える事件も引き起こしていたのであって、これに対し他のグループから報復、襲撃を受ける危険があったことは前示のとおりであり、これを被上告人が警察に依頼するなどしてあるかじめ防止することは不可能に近かったといわなければならず、平穏な集会を行おうとしている者に対して一方的に実力による妨害がされる場合と同一に論ずることはできないのである。
 4 このように、本件不許可処分は、本件集会の目的やその実質上の主催者と目されるG派という団体の性格そのものを理由とするものではなく、また、被上告人の主観的な判断による蓋然的な危険発生のおそれを理由とするものでもなく、G派が、本件不許可処分のあった当時、関西新空港の建設に反対して違法な実力行使を繰り返し、対立する他のグループと暴力による抗争を続けてきたという客観的事実からみて、本件集会が本件会館で開かれたならば、本件会館内又はその付近の路上等においてグループ間で暴力の行使を伴う衝突が起こるなどの事態が生じ、その結果、グループの構成員だけでなく、本件会館の職員、通行人、付近住民等の生命、身体又は財産が侵害されるという事態を生ずることが、具体的に明らかに予見されることを理由とするものと認められる。
 したがって、本件不許可処分が憲法二一条、地方自治法二四四条に違反するということはできない。

d1021.hatenadiary.jp

 この意味の「公共の福祉」は、けっして「公共の福祉」の言葉のある本条その他の憲法の規定にその根拠をもつと見るべきではない。
 それは、右にのべられたように、憲法の理念から論理必然的に生ずるところである。憲法が自由国家の理念に立ち、自由権の保障をそのなによりの狙いとしようとするとき、右にのべられたような自由国家的公共の福祉の原理は当然にそこに内在的に伴う。甲の自由権を保障することが、乙の自由権の侵害になることは許されないからである。同じように、憲法が、自由国家に満足せず、さらに社会国家の理念に立とうとするとき、右に述べられたような社会国家的公共の福祉の原理は、当然にそこに内在する。
 日本国憲法がかような意味の社会国家の理念に立っているとすれば、その基本的人権の保障には、右のような自由国家的公共の福祉の原理と社会国家的公共の福祉の原理ーーそれらは二つのものではなくて一つのものの二つの側面であるにすぎないーーが論理必然的に内在しているとに見なくてはならない。
 かように解すれば、本条に「公共の福祉」うんぬん、とあるのは、当然の原則を宣言したにとどまることになる。本条の規定をまってはじめてそうなのではない。