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フランシスコ教皇は22日夜、日本に先立って訪れたタイの首都バンコクでおよそ700人の若者たちとミサを行い、タイでの一連の日程を終えました。

23日は日本時間の正午前にタイを出発し、午後6時前に羽田空港に到着する予定です。

ローマ教皇が日本を訪れるのは1981年のヨハネ・パウロ2世以来38年ぶりです。

フランシスコ教皇は24日、長崎市に移動して爆心地公園で犠牲者に黙とうをささげ、就任以来、積極的に取り組む核兵器の廃絶を訴えて、世界に向けてメッセージを発信します。

さらに夕方には広島市に移動して平和公園被爆者の証言を聞いたあと演説する予定です。

また25日には都内で東日本大震災の被災者と面会したあと天皇陛下と会見し、安倍総理大臣とも会談します。

東京ドームで数万人規模のミサも行うということです。

フランシスコ教皇は今週発表したビデオメッセージで世界の平和が脅威に直面していると指摘していて、訪日では「すべての命を守るため」をテーマにメッセージを発信するということで、その内容に世界の目が注がれています。

フランシスコ教皇は82歳。266代目の法王です。本名はホルヘ・マリオ・ベルゴリオといいます。出身はアルゼンチン。歴代法王としては初めての南米出身者です。

首都ブエノスアイレスで生まれで、1958年にイエズス会に入会。神学校では哲学を学びました。

その後、ブエノスアイレス大司教になり、2001年にヨハネ・パウロ2世によって枢機卿に任命され、2013年に教皇に選出されました。

テロや気候変動など、さまざまな社会問題について声明や講話で積極的に意見を表明していて、リベラルで、貧しい人に積極的に寄り添おうとする姿勢は世界中の信者から支持を得ています。

また、ツイッターを通じて毎日メッセージを発信していて、現在(2019年9月末時点)1800万人を超えるフォロワーがいます。

日本にキリスト教をもたらしたのは、フランシスコ・ザビエルです。
室町時代の1549年、宣教師として鹿児島に渡来し、布教活動を始めました。

その後、多くの宣教師が日本に派遣され、教会の建設や、学校・病院の開設を通じて信者を増やしていきました。「キリシタン大名」も誕生しました。

しかし、安土桃山時代豊臣秀吉キリスト教の布教を禁止する「バテレン追放令」を出したほか、江戸時代には、徳川家康が禁教令を出し、日本のキリスト教徒は激しい迫害にあいます。
300年にわたる禁教が解かれたのは明治時代になってからでした。

迫害の歴史は世界的に知られていて、2016年には、遠藤周作の小説「沈黙」がハリウッドで映画化されたほか、去年は長崎県熊本県にある「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が、ユネスコ世界遺産に登録されました。

カトリック教会では、ローマ教皇庁が、信仰を貫いた人などに「聖人」や、それに次ぐ「福者」という称号を送っていて、日本では、フランシスコ・ザビエルや、長崎で殉教した日本人が「聖人」として認められたほか、江戸幕府から追放されてフィリピンのマニラに移り住んだキリシタン大名高山右近や、日本人として初めてエルサレムに巡礼したペトロ岐部などが「福者」に認められています。現在日本にはおよそ44万人のカトリック信者がいます。

ローマ教皇は、13億人の信者を持つローマ・カトリック教会の最高指導者で、「キリストの代理人」とも位置づけられています。

初代教皇とみなされているのは、イエス・キリスト使徒聖ペテロで、現在は266代目です。では、どのように選ばれるのでしょうか。

教皇は、バチカンシスティーナ礼拝堂で行われる「コンクラーベ」といわれる選挙で、100人を超える枢機卿によって選ばれます。
通常は教皇の死去にともなって「コンクラーベ」が行われ後任が選ばれますが、フランシスコ教皇は、前任のベネディクト16世が、およそ600年ぶりに生前退位したことを受けて選ばれた異例のケースでした。

教皇の主な仕事は、ミサなどの宗教的な行事のほか、カトリックの布教活動です。また、バチカン市国の立法、司法、行政の全権を行使します。

ローマ教皇は、世界で起きる紛争や災害の犠牲者などにも目を配り、テロへの非難など積極的に発言することで国際世論に強い影響力をもっています。

ヨハネ・パウロ2世は1980年代、東ヨーロッパの民主化運動の精神的な支えになったと言われており、東西冷戦の終結に貢献したともいわれています。

日本訪問に先立ってタイを訪れていたフランシスコ教皇は、首都バンコクの空港で特別機に搭乗し、日本時間の23日正午前、日本に向け出発しました。

フランシスコ教皇は23日午後6時前に羽田空港に到着する予定です。

ローマ教皇が日本を訪れるのは、1981年のヨハネ・パウロ2世以来、38年ぶり、2回目です。

今月26日までの4日間、日本に滞在する予定で、24日は被爆地の長崎、広島を訪れて、核兵器の廃絶を訴えるメッセージを世界に向け発信します。

25日には、都内で天皇陛下との会見や安倍総理大臣のとの会談などが予定されています。

フランシスコ教皇は、今回の日本訪問で「すべての命を守るため」というテーマを掲げており、都内で予定されている東日本大震災の被災者との会合や若者との集いなどで、こうしたテーマに沿ったメッセージを打ち出すものとみられます。

フランシスコ教皇23日午後5時半ごろ、日本に先立って訪問していたタイから特別機で羽田空港に到着しました。

雨と風が吹きつける中、タラップをゆっくりとした足取りで降りたフランシスコ教皇は、麻生副総理兼財務大臣カトリック教会の関係者らの出迎えを受けました。

また、空港にはカトリック系の学校に通う生徒たちが出迎えのために集まり、「ようこそフランシスコ教皇」や「平和のために祈る」とスペイン語で書かれたプラカードを掲げて歓迎していました。

フランシスコ教皇は生徒たちのもとへ歩み寄ると笑顔で手をふってこたえていました。

フランシスコ教皇は若い頃に宣教師として日本に派遣されることを願い出たものの、当時、患っていた病気のため実現しなかったことで知られていて、今回は念願がかなっての訪日となります。

ローマ教皇が日本を訪れるのは昭和56年のヨハネ・パウロ2世以来、38年ぶりの2回目です。

フランシスコ教皇は23日から4日間にわたって日本に滞在し、24日は被爆地の長崎と広島を訪れて核兵器の廃絶を訴えるメッセージを世界に向けて発信します。

23日は東京・千代田区にあるローマ教皇庁の大使館に移動し、カトリック教会の司教団と会ってスピーチを行う予定です。

羽田空港に到着し、機内から現れてタラップをおりるフランシスコ教皇

いつも身につけている白い帽子がありませんでした。

この帽子はカトリックの位の高い聖職者がかぶる、ズケットと呼ばれる帽子で、白いズケット教皇の象徴だとされています。

機内を出る直前、NHKのカメラは、みずから帽子を脱ぐ教皇の様子を捉えていました。

その後、歓迎のセレモニーを終えて、車に乗って移動する教皇の頭には再び白いズケットが。

羽田空港は風が強く吹いていました。

フランシスコ教皇は、2015年にフィリピンを訪れた際も到着直後、飛行機から姿を現したときに、帽子が風に飛ばされたハプニングもあったということで、再び同じことが起きないように心を配ったのかも知れません。

ところで、ローマ教皇が移動のために乗った車は、トヨタ自動車燃料電池車「MIRAI」です。

トヨタは、ローマ教皇が地球環境保護の問題に関心が高いことから燃料電池車の寄贈を決めたということです。

燃料電池車は、水素を燃料に利用し、酸素との化学反応によって発生した電気で走る車で、二酸化炭素などの排気ガスを出さないことから次世代のエコカーとして注目されています。

トヨタは、2002年に燃料電池車を世界で初めて実用化し、2014年には一般向けに販売を始めています。

日本に到着したローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇は、日本のカトリック教会の司教団の前であいさつし、「若い頃から共感と愛着を抱いていた日本への訪問がようやく実現しました」と述べて念願の訪日に喜びを表しました。

フランシスコ教皇は23日夕方、日本に先立って訪れていたタイから特別機で羽田空港に到着し、東京・千代田区にあるローマ教皇庁の大使館で日本の司教団にあいさつしました。

冒頭、フランシスコ教皇「日本訪問という恵みと、皆さんの歓迎にとても感謝しています。
新しい天皇の即位と、令和という新しい時代の幕開けにいる日本のすべてのかたがたにあいさつと祈りを届けたい」と述べました。

そのうえで「私は若いときから日本に共感と愛着を抱いてきました。日本への宣教を望んでから長い時間がたち、ようやくそれが実現しました」と語り、念願の日本への訪問がかなったことに喜びを表しました。

そして、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルについて触れ、迫害の中で信仰を守りぬいた長崎の隠れキリシタンをはじめ、日本でキリスト教の普及に取り組んできた人たちに敬意を表しました。

そして、フランシスコ教皇「長崎と広島の被爆者のために祈ります。人類史に残るあの悲劇の傷に今なお苦しんでいる人々、また、地震津波原発事故という三重(さんじゅう)の災害の犠牲者のかたがたにもお会いしたい。長きにわたる彼らの苦しみを見ると、私たちに課された義務をはっきりと自覚させられます」と述べました。

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