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そういう自分の変わったところを認めて服装でも表現している人の方が、魅力的だなぁって気がついたんです。

だって普通になるということは、平均になるってこと。それって世の中にあふれる量産型のものになるってことじゃないですか。それじゃ価値なんてないじゃないですか。

「例えば、戦前・戦後を通じて日本映画界で活躍した高峰秀子さんは貧しい環境で育ち、『女優なんて人に身を晒すような恥ずかしい仕事についてしまった。早く辞めたい』と思いながら、生きていくために女優をやっていました。原節子さんなどもそれに近くて、そういう人たちってすごく芝居が上手だと思います。子どもの頃から人生の酸いも甘いも知ってるし、また見られて気持ちいいという快感がないから、芝居に嫌味がないんです。あれ? でもこれって、才能を発揮する条件のはずの『好き』とは対極かな?」

「私の学生時代は、周りの目を気にしない変人たちのサラブレッドが、講義やゼミとは関係なく集い、キャンパスのあちこちで演劇や哲学談義を繰り広げていました。それがおもしろくて、勉強そっちのけでよく耳を傾けていたものです。京大はそうした学生それぞれの自由が、日本のどこよりも許される場所だと思うし、これからもそういう自負を持ち続けて欲しい。

今の世の中はどんどん人間が均質化しているので、京大生ぐらいはラディカルに本質を見抜き、どれだけ変なことをしてやろうかって気概を持ち続けて欲しいですね。周囲や社会や常識が決める成功が、本当に自分にとっての成功なのかを、最大限考えられる場所が京大なのだと思います」

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