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 上皇ご夫妻が入られる赤坂御用地東宮御所は、バリアフリー化などの改修工事に約1年半を要する。そのあいだ住まわれるのが、港区高輪にある今回の高輪皇族邸、つまり「仙洞(せんとう)仮御所」である。

 入口には、警察車両と警察官。見物人が群れることもなく、周囲を見渡しても、“上皇ご夫妻歓迎”といった横断幕があるわけでもない。どことなく淋しげな気配が漂うのだ。地元の「メリーロード高輪商店会」の大駒敏会長に聞くと、

「お引っ越しが決まった当初、商店会や町会の皆さんで、お引っ越しの日に、“奉迎”と書かれた提灯を持ったり、旗振りでお出迎えしようという話が出てはいましたけど、やめたんですよ」

 後を受けて、洋菓子店を営む女性はこう語る。

「皇族邸には高松宮さまがお住まいでしたから、周辺の人々は、身近に皇族の方が暮らされることに馴れています。騒ぎ立てず、静かにお迎えする心構えができているのは、この土地ならではだと思います」

 皇族邸は、高松宮邸として町にとけ込んできた。周辺には昔からの寺や和洋菓子店、美容室などが点在し、下町の風情もある。町会長の安藤洋一さんが述懐する。

「大昔、私が小学生のころですが、夏は皇族邸のプールに泳ぎに行っていたし、高松宮さまは、ごく自然に周辺を散歩されていました。中学校の運動会に飛び入り参加されたなんて話もあります。当時を憶えている住民はいまも多いんですよ」

 宮内庁担当記者の話。

「1987年に宮様が、2004年に喜久子妃が薨去されて以降は無人でした。戦後、宮様のご意向で払い下げられた土地には、港区立の中学校や区役所の支所、アパートやマンションなどが建てられました。それもあって、いまの敷地は2万平方メートルほどで皇居の50分の1以下。こぢんまりとしているので、上皇ご夫妻が続けている散策は、皇居まで赴かれてなさる予定です」

 というから、ご夫妻のお姿は滅多に見られないようだ。“皇族馴れ”しているとはいえ、地元住民は少し淋しいのでは。商店街の軒先に、「奉迎」の提灯が掲げられていた。地元の「小池企画印刷」の作という。同社の小池康雄代表によると、

「少しでも明るくお迎えしたいから、紅白の提灯でもと思ってね。飲みに行くのを半年我慢するつもりで、自腹で100個作って配りましたよ」

 和菓子店「松島屋」の豆大福は、昭和天皇の好物として知られる。3代目主人の文屋弘さんは、

「昨年の暮れ、期待と歓迎の気持ちを込めて紅白二つの餅を箱に入れた“おしどり餅”を400円で売り出しました。また作りたいと思っています。もし上皇ご夫妻がふらっと買いに来られたら、大福くらいおまけしちゃおうかな」

 と笑う。5月になれば、皇族邸入口前に港区が植えたバラ「プリンセス・ミチコ」が、綺麗な花を咲かせるはずである。

 こうした静かな歓迎に触れたなら、上皇ご夫妻も高輪の町を“お忍び”で散策したくなられるかもしれない。

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 一方で4月には、一連の御代替わりの儀式の締めくくりとして、秋篠宮さまが皇位継承順位1位となられたことを宣明する「立皇嗣(りっこうし)の礼」が執り行われる。

「その中心儀式である『立皇嗣宣明の儀』は、4月19日に皇居宮殿・松の間で行われますが、コロナの影響で、当初予定されていた約350人の参列者は約50人に減らされました。さらに“密閉・密集・密接”を避けるべく、松の間を開け放して行う方向で調整が進んでいるのです」(同)

 2日後の4月21日には、

三権の長や各国駐日大使など、計およそ730人の招待客をもてなす『宮中饗宴の儀』が2回にわたって立食形式で催される予定でしたが、こちらもすでに中止が決まっています」(同)

 平安時代ならば疫病は「物の怪」の仕業として陰陽師の出番となるところだが、ご公務のキャンセルが続く秋篠宮家では、東京・丸の内の博物館「インターメディアテク」に勤務される眞子さまも、ご自宅でテレワークなさっており、

皇嗣職の説明では、ご一家は先々のご公務も見据えられ、これまで手掛けられなかった『宿題』をなさっているとのことでした」(同)

 皇室ジャーナリストの神田秀一氏が言う。

眞子さまと小室圭さんとの問題も尾を引く中、ムードを変えるよい機会だったのですが、秋篠宮家にとっては幸先のよろしくない形になってしまいました」

 令和の世に、時ならぬ暗雲が垂れ込めつつある。

令和になってから良い事ばかり起こるようになっている。

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