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 東京・港区の秋篠宮邸から三重の伊勢神宮、そこから奈良のホテルと神武天皇陵、京都、そして大阪をクルマで駆け抜け、伊丹空港から帰路についたのだった。

「鉄道を利用すると見物人が集まって『密』の状態ができてしまう。秋篠宮さまはそれを是とされず、クルマでの移動を判断されたということでした。側近や幹部は“電車が良いのではないでしょうか”と伝えたそうですが」(同)

秋篠宮さまは、このコロナ禍で人が多く集まることを心配なさり、その可能性があることは避けるべしという考え方でした。一方で宮内庁側はクルマによる移動のリスクについて進言したということです。運転や警備について相当な負荷がかかることについて具体的に説明したようですがね。そうした意見が受け入れられなかったということもあって、宮内庁の中や警備等の関係者には不満を感じる者もいて、メリットよりデメリットの方が遥かに大きかったという声が上がっていました」(先の記者)

 別の記者も次のように話す。

秋篠宮さまはかねて皇族としての務めが市民生活の妨げになってはならないというお考えがあり、今回もそのように振る舞われたということだと思います。一方で宮内庁側は、コロナも落ち着きつつある状況でもあるし、人があまり密にならないようする工夫はできると考えていた。一方、クルマでの長時間移動となると事故や渋滞に巻きこまれることも予想されますし、施設への到着時間が確定できないのも良くない点だと考えていたようです」

秋篠宮ご夫妻は、26日午前10時半前、東京 八王子市の、昭和天皇が埋葬された「武蔵野陵」の前に到着されました。

モーニング姿の秋篠宮さまとグレーの参拝服を着た紀子さまは、陵の前へとゆっくりと進まれました。

そして、玉ぐしを供えてそろって深く拝礼し、秋篠宮さまが皇位継承順位1位の「皇嗣」となられたことを広く内外に伝える「立皇嗣の礼」が終わったことを報告されました。

続いて、大正天皇とその后の貞明皇后の陵や昭和天皇の后の香淳皇后の陵にも参拝されました。

このあと、秋篠宮ご夫妻は、午後3時半前、皇居を訪れ、感染拡大の影響で延期されていた「立皇嗣の礼」に伴う行事がすべて終了したことを天皇皇后両陛下に伝えられました。

宮内庁皇位継承に伴う儀式や行事を円滑に実施するために庁内に設置した「大礼委員会」は、27日、廃止される予定です。

かなり時間が経ってしまいましたが、一昨年11月に行われた「立皇嗣の礼」後の神宮ならびに山陵(神武天皇昭和天皇)への参拝を済ませることができました。

これをもって、大礼に関係する行事の全てが終了したことになり、私たちも安堵しております。

また、孝明天皇・英照皇太后明治天皇昭憲皇太后大正天皇貞明皇后、そして香淳皇后の各陵にもこの機会に参拝いたしました。

いまだCOVID-19の収束が見えないこともあり、事前に感染症の専門家と相談をし、また、関係者の協力を得ながら参拝を終えることができました。

関係して下さった方々に感謝しております。

#秋篠宮家OUT

4月26日、上皇ご夫妻は赤坂御用地にある新たなお住まい「仙洞御所(せんとうごしょ)」に移られました。皇位継承から3年を経て、天皇ご一家と上皇ご夫妻のお住まいの入れ代わりが完了しました。

新たなお住まいは上皇ご夫妻が結婚後30年余りを過ごした建物で、お二人は思い出深い場所で、新たな生活を始められます。

上皇ご夫妻の新たなお住まいは、東京 港区の赤坂御用地にあり、地上2階、地下1階の鉄筋コンクリート造りで、総面積は6100平方メートル余りに上ります。来客の対応などに使われる公室部分は、壁のクロスやカーテンが取り替えられたほか、トイレの改修などが行われました。

そして、ご夫妻の私室部分は、エレベーターや階段のスロープ設置といったバリアフリー化の改修工事が行われました。

総工費はおよそ6億4000万円です。

新たなお住まいの名称は、譲位した天皇の住まいの呼び名に使われた「仙洞御所」となりました。

この新たなお住まい、実は、お二人が結婚した翌年の昭和35年(1960年)、誕生されてまもない今の天皇陛下とともに、生活を始められた建物です。

上皇ご夫妻が、平成5年(1993年)に皇居の御所に移るまで30年余りを過ごされました。

ご夫妻は、親子が離れて暮らす天皇家の慣習を見直し、自分たちの手で長男の天皇陛下と次男の秋篠宮さま、そして、長女の黒田清子さんを育てられました。

上皇ご夫妻が、皇居の御所に移られたあと、平成6年からは天皇ご一家が暮らされていました。

上皇ご夫妻は、皇位継承に伴う天皇ご一家とのお住まいの入れ代わりのため、おととし3月から、26年余り暮らした皇居を離れて、かつての高松宮邸である、東京・港区の仮住まい先に移られていました。
新型コロナウイルスの感染拡大で外出がままならない状況が続きましたが、そうした中でも地域の人たちとの温かい交流が生まれていました。

日課とする散策中には、近くのマンションのベランダにいる住民から声をかけられ、応じられることもありました。

住民の男性は「朝、『おはようございます』とあいさつすると、上皇さまは会釈され、上皇后さまは『おはようございます』と返してくださいました。お二人の結婚記念日に『おめでとうございます』と声をかけると、上皇后さまが『ありがとうございます』と返事をしてくださいました。お二人はいつも近くに寄り添って元気そうに歩かれていました」と話していました。

また、近所の保育園の園児からは、ご夫妻の誕生日やクリスマスなどに手作りのカードや花束が届けられました。おととし11月に仮住まいの敷地に落ちていたどんぐりを、園児たちが受け取ったことがきっかけになったということです。

園児たちは、4月12日、上皇ご夫妻が仮住まい先を離れられる際、見送りに訪れていました。
上皇ご夫妻は、この日、園児たちと初めて会えるのを楽しみにしていて、出発の際、「園児たちが分かるように車をゆっくりと進めてください」と話されたということです。

車の中で、上皇さまは、身を乗り出しながら手を振られ、上皇后さまは、笑顔で会釈されていました。

4月26日、上皇ご夫妻は、仙洞御所に到着され、皇位継承から3年を経て、天皇ご一家と上皇ご夫妻のお住まいの入れ代わりは完了しました。

側近によりますと、新型コロナウイルスの収束が見通せない中、ご夫妻の今後の予定について決まったものはないということです。

ただ、感染防止ができる条件が整えば、お二人が外出される機会を作っていきたいと考えているとしています。

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