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 結婚を進める理由について、米国で小室さんの就職先が決まり、生活基盤が整ったからと報道されました。しかし物価の高いNYで、眞子さまの一時金もなく、新人弁護士と元内親王が暮らして行けるかは、はなはだ疑問です。

 秋篠宮家かもしくは皇室と人脈のある筋の援助がなければ、生活は難しいだろうと国民は、みな感じています。皇室を出て結婚したいと主張する一方で、皇族の特権は享受したいといのは、ものすごいエゴイズムです。

 日本は、皇室メンバーが築き上げた王政国家ではありません。
 
国民を説得しきれないとなったら、結婚を強引に進めて外国に逃げ出す。眞子さまの結婚問題で、皇室が国民と築き上げてきた信頼関係を壊したことは間違いありません。

 一部のマスコミやテレビ番組では、「眞子さまは思いを遂げて結婚」という美しい言葉でこの騒動を飾っています。宮内庁も、眞子さまと小室さんは、戦略通り上手くやったと思っているかもしれない。

  しかし、 国民は、今回の結婚について止める力はありません。複雑な思いで耐え忍ぶだけです。眞子さまと小室さんの「勝利」は、国民に疑念と禍根を残すでしょう。

 いま議論されている「女性宮家」や「皇女」制度への影響も少なからず出るはずです。秋篠宮家の次女である佳子さまのみならず、将来の天皇となる悠仁さまへの評価にもつながってくるでしょう。眞子さまの今回の騒動を見てもなお、皇族と結婚したいと考えるお相手がいるのでしょうか。

 眞子さまの結婚騒動で国民がおぼろげに感じたのは、皇室ならびに皇室制度のほころびです。「眞子さまが思いを遂げた」というよりも、「皇室は、ここまでして逃げ出したい場所なのか」という印象を抱いた国民も少なくありません。 

 だとすれば、この結婚問題は、「眞子さまアラート(警報)であり、皇室の内部崩壊を示唆しているのではないか、とさえ感じました。

秋篠宮家の長女・眞子さまの“駆け落ち婚”が報じられ、宮内庁職員の間では『どうするんですかね?』といった、やや投げやりな感想も聞こえます。そんな中、弟君の悠仁さまが9月6日で15歳になられました。

 江戸時代までなら成人式に当たる元服を終えられていてもおかしくはないご年齢です。来年4月には高校生になられます。にもかかわらず、将来の天皇としての『帝王教育』がまだ本格化していないことを、危惧する声が宮内庁OBの間などから上がり始めているようです」

 当初、悠仁さまの「帝王学」は先例にならって中学ご進学を契機に始められるものと一部ではみられていた。2019年4月にはお茶の水女子大学附属中学校に進学されたが、秋篠宮さまは特別な教育係は置かない方針とみられ、ご夫妻で悠仁さまのご教育を担われているのが現状だ。

大正天皇の教育係は、2004年に逝去された高松宮妃喜久子さまの祖父・有栖川宮威仁(たけひと親王が担いました。威仁親王は皇族として初めて帝国海軍の軍人となった人物で明治天皇の信頼も厚く、伊藤博文の推薦で1898(明治31)年に東宮賓友、翌年には東宮輔導となり、病弱だった大正天皇の健康回復と帝王教育に当たりました。また、1914(大正3)年には学習院初等学科を卒業した昭和天皇のために、東京・高輪に東宮御学問所が設けられました。

 御学問所は明治天皇の勅命で学習院の院長を務めた陸軍大将・乃木希典の建言をもとに『帝王学』の専門機関として作られたものです。ここで昭和天皇の帝王教育が本格化したことは、よく知られています。御学問所では歴史、地理、数学、国漢文、仏語などの担当に当代一流の学者が選ばれ、歴代天皇の事蹟と並んで最も重要な倫理の担当には学徳兼備の教育者・杉浦重剛が選任されています」(同前)

 ただし、上皇陛下には帝王学の専門機関は設けられなかった。その背景には、やはり敗戦の影響があった。

「実は上皇陛下にも当初、東宮御学問所が1942(昭和17)年に開設される計画がありました。しかし、戦争が激化したことから延期となり、宮内省(現・宮内庁)は上皇陛下が学習院中等科に進学される1946年度に御学問所を設けて帝王教育を開始するとともに、中等科で一般授業も受けられるという方針を決め、中等科の教授ら授業の担当者を皇后宮職御用掛とする人事を発令しました。

 終戦直前の1945年8月10日に東宮職が設置されると、野村行一学習院高等科長が御学問所教育主任への就任含みで東宮職御用掛に任命され、授業の担当者も皆、東宮職御用掛に転任しました。その計画が終戦で全て中止となったのは、超国家主義的な思想教育が行われることを危惧した連合国最高司令官ダグラス・マッカーサーの強い意向があったからだったとされています」(同前)

 これ以降、将来の天皇の帝王教育は専門機関ではなく、学習院に通いながら外部から学識経験者を招いて行われるようになったという経緯がある。

学習院中等科に進学された上皇陛下には、慶應義塾の塾長・小泉信三が1946年に東宮御学問参与(後に東宮御教育常時参与)となり、『ジョージ五世伝』や『帝室論』などを講義して帝王学を説きました。天皇陛下の場合も学習院で一般的な教育を受けられながら、著名な学者らから歴代天皇の事蹟などについて学ばれました。学習院中等科進学を控えた時期には、漢学の権威だった宇野哲人東京大学名誉教授から論語を学ばれています。

 また、中学3年の時には王朝和歌の権威だった国文学者の橋本不美男氏から『徒然草』の写本の講義を受けられました。天皇陛下は2010年2月の誕生日会見で『歴代天皇のご事蹟を学ぶ中で、第95代の花園天皇が、当時の皇太子、後の光厳(こうごん)天皇にあてて書き残した書に、まず徳を積むことの重要性を説き、そのためには学問をしなければいけないと説いておられることに感銘を受けた』と述べられています。まさに、帝王学の重要性を痛感されておられたからこそのご発言と言えるでしょう」(同前)

 悠仁さまの帝王教育が進んでいない事実の背景には、悠仁さまが明治以降では初めて天皇・皇太子の長男ではなく宮家の長男であることがあると言えよう。皇位継承順位は皇嗣になられた秋篠宮さまに次ぐ第2位ではあるものの、あくまでも宮家の皇族という特殊事情が障壁となっている可能性があるのだ。

秋篠宮ご夫妻は在位中の上皇陛下のご静養先で悠仁さまとともに合流し、悠仁さまに天皇のあり方を身近で学ばせようと努力されてきました。一方で秋篠宮さまは2014年11月の誕生日会見で『天皇のあり方について悠仁さまにどのように伝えていくか』と質問されると『私自身はその立場ではありません』と述べられています。

 これは、帝王教育をご夫妻だけで担うことには限界があることを示唆されたとも受け取れるものです。やはり特別な教育係を置いて腰を据えた帝王教育を、一刻も早く始めるべきなのではないでしょうか」(同前)

 明治期以降、天皇学習院で学ぶ一方、学識経験者らを教育係に据え、帝王教育を行ってきた。しかし、秋篠宮ご夫妻は悠仁さまを学習院には進ませず、大学の学長経験者など専門の教育係も置かれてはいない。

 年内結婚を抱える長女の眞子さま、公より私を優先させているとの批判の声もある次女の佳子さまに起因して、秋篠宮家のご教育方針には疑問の声もある中、悠仁さまの帝王学については軌道修正が必要な時期が来ているのではないだろうか。

秋篠宮ご夫妻の長男の悠仁さまは6日、15歳の誕生日を迎えられました。

宮内庁によりますと、この春、お茶の水女子大学附属中学校の3年生になった悠仁さまはこの1年、健やかに過ごされました。

去年9月には、学校の生徒祭で「『コロナ禍を生きる』大人たちへのインタビュー」や、それに伴う調査結果を同級生とともに展示・発表されました。

悠仁さまはさまざまな業種の人たちの苦労や努力を知るとともに、自分たちにできることは何かについて、考えを深められた様子だったということです。

また、小笠原諸島への旅の思い出などをつづった作品が、小中学生を対象にした文学賞の佳作に選ばれ、ことし3月、オンラインで行われた表彰式に出席されました。

悠仁さまはことしの夏休みには、東日本大震災から10年、熊本地震から5年となるのにあたって民間団体が主催したオンラインでのイベントを家族で視聴し、災害時に子どもができることは何かなどの話を聴きながら、これからの防災について学ばれたということです。

中学校は今月1日から2学期が始まっていて、悠仁さまは元気に通学されています。

 秋篠宮家の長女眞子さま(29)の年内結婚、皇籍離脱に絡み、皇族数確保策として天皇ご一家と現存の4宮家を存続させる構想が政府内にあることが分かった。女性皇族が結婚後も皇籍を維持するよう求めた有識者会議の案を基に、天皇陛下の長女愛子さま(19)が天皇ご一家に残り、秋篠宮家の次女佳子さま(26)が秋篠宮家を継ぐことを念頭に置く。女性皇族の結婚後の身分、役割に直結するため、本人の意向に最大限配慮する内容とすることを想定している。関係者が5日、明らかにした。

 皇室の「現体制」を保ち、秋篠宮家の長男悠仁さま(15)の即位後も皇室全体で支えられるようにする狙いがある。

天皇ご一家は、6日午後2時半すぎ、東京・港区の赤坂御用地にある「赤坂御所」を出発されました。

長年暮らしたお住まいをあとにする際には、秋篠宮ご夫妻や職員から見送りを受け、一人ひとりににこやかに会釈されていました。

このあと、ご一家は、歴代天皇に伝わる「三種の神器」の剣と曲玉とともに「御所」に入られました。

「御所」は、上皇ご夫妻が26年余り暮らしたお住まいで、皇位継承に伴い、上皇ご夫妻が、去年3月、東京・港区の仮住まい先に移られたあと、改修工事が進められていました。

天皇ご一家は、身の回りの荷物が移されるまで皇居・宮殿に10日間滞在するということで、9月15日から新たな生活を始められることになっています。

一方、「赤坂御所」には上皇ご夫妻が天皇ご一家と入れ代わる形で移り住む予定で、バリアフリーのための改修工事などが順調に進めば来年春までに入居される見通しです。

天皇皇后両陛下は、6日、お住まいを皇居の「御所」に移したことについて感想をあらわされました。

この中で、両陛下は、「多くの年月を過ごし、慣れ親しんできた赤坂御用地を本日離れることに、寂しさと深い感慨を覚えます。それとともに、歴代の天皇がお務めを果たされる上での礎となってきた皇居に移ることに身の引き締まる思いがいたしますが、心を新たに日々の務めを果たしていきたいと思います」と述べられています。

そして、赤坂御用地での生活と務めを支えたり、皇居での新しい生活の基盤を整えたりしてくれた人たちに感謝の気持ちを述べたうえで、「現在の新型コロナウイルス感染症の感染拡大が収束に向かい、人々が安心して暮らせる日が一日も早く訪れることを心から願っております」と結ばれました。

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#天皇家

旧ソ連が旧日本軍731部隊などについて裁いた1949年の「ハバロフスク軍事裁判」に関する学術会議が6日、ロシア極東ハバロフスクで開かれた。プーチン大統領がメッセージを寄せ、49年の裁判はナチス・ドイツの戦犯を裁いた裁判などと同様に「人類に対する恐ろしい罪を犯した者たちに法的・倫理的な裁きを下した」と強調した。

 会議は専門家のほか、政府関係者も参加。歴史問題で日本をけん制する意図がありそうだ。プーチン氏は「事実と資料に基づく議論」は「第2次大戦の出来事を歪曲(わいきょく)しようとする試みに対抗するために非常に重要だ」と指摘した。

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