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 販売に伸び悩みが見られる車種はダイハツ「タント」です。発売は2019年7月なので、軽自動車では設計が新しい部類に入りますが、2019年1月から6月の国内販売ランキング順位では、1位のホンダ「N-BOX」(10万1454台/2017年8月登場)、2位のスズキ「スペーシア」(6万5323台/2017年12月登場)に次ぐ3位(6万2253台)となっています。

 先代タントは2013年に発売され、2014年に先代N-BOXを押さえて国内販売のナンバーワンになりましたが、現行型はN-BOXだけでなく、スペーシアにも抜かれています。

 なぜ現行タントはここまで販売が伸び悩むのでしょうか。販売店に尋ねると、以下のように返答されました。

「先代タントがモデル末期まで好調に売れたため、現行型に乗り替えるお客さまがいまひとつ増えないようです。

 また現行型は車内で移動しやすいですが、デザインや装備の目新しさは乏しいと思います。標準ボディは、インパネの樹脂感覚が強く、いわゆる質感が不満という話も聞きます」

 ユーザーがタントに不満を持った場合、他メーカーのN-BOXスペーシアを購入するのでしょうか。

「軽自動車を初めて買うお客さまは、値引きなどの条件も含めてライバル車を選ぶことがありますが、いままで付き合いのあるお客さまは離れません。タントが好みに合わない場合、『ムーヴキャンバス』を選ぶことも多いです」(ダイハツの販売店スタッフ)

 ムーヴキャンバスは堅調に売れており、「ムーヴ」の販売台数の約半数を占めます。2020年1月から7月における1か月の平均届け出台数は、タントが約1万800台、ムーヴキャンバスは約4200台です。

 販売店のコメントにもあった通り、タントの質感などに物足りなさを感じたユーザーが、ムーヴキャンバスに乗り替えることもあるわけです。

 2020年6月にダイハツは「タフト」も発売しました。販売店によると「子育てを終えたお客さまが、ファミリー向けのタントからSUV感覚のタフトに乗り替えることもあります」といいます。

 このようにタントの販売伸び悩みには、タント自体の商品力低下に加えて、ほかのダイハツ車の売れ行きも影響しています。

 それでもタントはダイハツの主力車種なので、販売の伸び悩みはダイハツ車全体の勢いに影響を与えます。

 いまのダイハツは、軽自動車の販売ナンバーワンメーカーとされますが、2020年1月から7月の販売累計は、ダイハツが29万4073台で、スズキは28万9746台でした。

 ダイハツが1位ですが、スズキとの差は4327台に縮まり、1年前の2019年1月から7月の差が2万4011台だったことに比べると僅差です。今後の販売動向次第で、年末までに1位がスズキに奪われることがあるかもしれません。

 タントの売れ行きが特別仕様車の追加程度では持ち直さないことが分かったので、2020年の秋以降、デザイン面まで踏み込んだ大幅な改良を実施する可能性があります。

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新潟県湯沢町の「苗場プリンスホテル」によりますと、新型コロナウイルスの影響で旅行を控える動きが続いたことに加え、例年100万人以上が訪れる長岡市の花火大会や、国内最大級のロックの祭典「フジロックフェスティバル」など利用客が見込めるイベントが相次いで中止されたこともあり、9月以降の宿泊予約は去年と比べて9割ほど減少したということです。

このため16日から12月24日まで臨時休業することを決めたということです。

「苗場プリンスホテル」は、新型コロナウイルスの影響でことし4月半ばから一時、営業を見合わせ、7月23日に再開したばかりで、「難しい判断となりましたがコロナ禍を乗り切り、再び地域の皆様と苗場を盛り上げたいと思っています」とコメントしています。

およそ150人の従業員の一部はグループのほかのホテルなどで勤務するということです。

香港、マカオ、そしてデリーからロンドンへ。30年以上前、”バックパッカーのバイブル”などとも呼ばれ、アルバイト代で買った格安航空券を握り締める当時のロスジェネ世代が、それぞれに冒険へと踏み出し世界を歩くきっかけとなった不朽の名作、『深夜特急』。

ユーラシアを横断し、乾いた風の中を疾走する長距離バスに乗り、雨に降られ、異国の仕草や言葉や色が溢れる雑多な路地裏の匂いを嗅ぎ、人々の思惑や優しさに触れ、やがて華やかな欧州の大都市へと向かったあの沢木耕太郎氏は、意外なことにもう70代だ。異国を旅し続けた作家が意外にも初めて日本国内を旅して綴り、今春刊行したエッセイ集『旅のつばくろ』(新潮社)に、2020年の私たちはいま、人生の歩き方を学びたい。

沢木耕太郎は静かに立ち上がって取材チームを迎え入れてくれた。こんなご時世ではもう旅行どころじゃないですよねと嘆いてみせるインタビュアーに、作家はこう答えた。「しばらく旅行は無理かもしれないね。でもほら、思い描いている時点でもう物語の半分はできているわけだから、半分旅をしているんだよ」。遠くへ出かけられない私たちにも、旅はもう始まっているのだと。

「紀行文はガイドブック的な役割を担うものと、旅をする心を何か刺激するものと、きっと2つに分かれるんじゃないかと思う。ガイドブックを欲しがる人にとっては、主人公が具体的にどう旅をしていったかよりも外界をどのように感じ取ったかが描かれている『深夜特急』は何の役にも立たない本だと思うんだよね。『深夜特急』が今もポツポツと読んでもらえているとすれば、読む人たちは彼が感受した世界を一緒に感じ取ったうえで、自分も旅をしてみたいと思ってくださるんでしょう」

「どこに泊まって、何を食べて、こういう景色を見て、という”普通の”国内の紀行文とは全然違うものですね、と言われて、自分で『あ、そうだったんだ』と意外な発見がありましたね。例えば『旅のつばくろ』の初めでも、記憶を確かめるために浄土ヶ浜へ行きますが、自分にとって意味のある場所に行くというだけで、そこが観光地であることや、そこで海鮮丼を食べることも重要ではない。要するに、自分が『どこに行こうか?』と思うときに、もう物語の半分はできているわけじゃない? で、実際に行ってみてどういう旅になったかで、残り半分のピースが合わさって、1つの旅になっていく」

ガイドブックに載っているような何かをあらかじめ目指していくのではない、沢木にとって意味のある物語へ出会いに行く。まさにつばめのように気ままに。本作に収録されているのは、たまたま風に吹かれたようないきさつの旅ばかりだ。

沢木は、自由な人生を旅に例えた。

「自由に生きられるということは、自分のことは自分でできる、後始末がつけられるということです」

ほほう、と俄然身を乗り出すインタビュアーに、作家は「1人でその時間をどう費やすか、自分を楽しませるかっていうことが、やっぱりその人の力量だったりするわけだよね」と、微かに挑むような、チャーミングな笑みを浮かべる。

「1人だと、移動している時間に自問自答しますよね。それが旅を進化させ、印象を深める。2人や3人で行くと、会話の中で消化してしまって、その思いが残らない。この『旅のつばくろ』でも、基本的には1人で動いて自問自答してるから、近距離の旅でも重層的にいろいろ深くなっていくんじゃないかっていう気はする。1人だから感じられる、1人だから深められる。やっぱり旅は、もし深いものを求めるんだったら、1人のほうがいいんじゃないかと思うね」

旅も人生も一緒、結局は1人で歩くものだ。「1人で生きていけることと、1人で旅ができることは、わりと近いこと。もちろん何人かで一緒に人生を過ごせればいいと思うんだけど、どこかで1人で生きられる力っていうのを持っていたほうがいいじゃない? 経済的にも、家事能力も含めて、男であってもね」。

「僕がささやかに、わりと自由でいられるのは、家事能力があるからです」。70代の沢木はこともなげに言った。「掃除、洗濯、料理、何でも自分でできる。僕は結婚してるから多くのものは妻がやってくれるけれど、自宅から離れた仕事場の維持管理や家事、それに毎日の昼ご飯は自分で作って食べるから、仮に何らかの形で1人で生きなきゃならなくても、全然平気、問題はないんです。

その力はやっぱり人間として自由になっていく、1つの重要な要素だと思っている。経済力と家事能力、1人で生きていける力量を持った2人がゆるやかにパートナーシップを組んで家庭を作っていくっていうの、まあ、理想的だと思うわけです。やっぱり1人で旅するように1人で生きる力量があれば、すごく生きていくのが楽になるよね」。

沢木の依存しない自由な生き方は、仕事の仕方にも表れている。

「僕はこんなに努力している書き手はほかにいないんじゃないかって、日々思っているよ、まったく(笑)」。沢木の口から、優れた書き手としての信念であり誇りがキラリとこぼれた瞬間だった。「今日、この取材が終わったら、向こう今年中の約束はあと2つしかない」。

取材チームの驚く顔に、沢木は苦笑した。「手帳にはそれしか書いてない。もちろん心持ちとしては、あの雑誌に何月頃に原稿書こうかな、ぐらいのことは考えてるよ。だけどそれはタイトな約束ではないし、仮にタイトな約束だって、どこに行って書いたっていいわけじゃない? だから僕にはめちゃめちゃ隙間がある、それを自由と呼ぶなら無限に自由がある。そういう自由な予定表を持つ人生を送りたいと思ってやってきたんです。

仕事に関しても『自分のライフワークはこういうので、こういうのを書かなきゃならないんだ』って思ったこともないし、徐々に締め切りを背負わない仕事にシフトしてきた。目の前に現れた仕事をやるかどうかをジャッジして、やるんだったら手を抜かないでやっていく、たったそれだけのことだよ」。

「自信は最初からあるわけじゃない。少しずつ身についてくるもの。それは結局、一種の経験です。旅に例えるなら、旅先でいろんな人たちの親切を受ける。それを無防備に受け入れていいのかどうなのか?

そのとき『ここまでなら挽回可能だから、この親切に身を委ねる。でもこれ以上行くと、自分の今の力では引き返せないから、それ以上は行かない』なんてことを、1回1回ちっちゃいことから経験していくんだと思うんですね。僕の場合、16歳で初めて東北へ行った1人旅から少しずついろんなものを学んだと思う」

そうやって自分の力量がわかってきて、どこまで応じていいのかを判断できるようになった。「やっぱりある種の経験が必要だったと思うんです。旅と集団のスポーツは、いろいろな状況の中で自分がどういうふうに身を処するかをわりと短期間で習得させてくれて、自分の力の背の高さのようなものも測れる大事な機会だと思う。だからできれば、その2つは若いときからやっていったほうがいいよね」。

世界を自由に歩く達人は、「自由になるためには、やっぱりあらゆることをコンパクトにすることだよ」と話した。

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