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「渡さんはとにかく亭主関白。家の中での渡さんは座ると動かない。俊子さんにすべてを頼むんですよ。あるとき、友人の地井武男さん(享年70)が自宅に遊びに来て、数時間席を外してから戻ってきても、渡さんは同じ姿勢のままだったと驚いていました」

 渡さんが2015年に心筋梗塞を患い、老いが目に見えて進んでからもふたりの関係は変わらなかった。

「渡さんが“おい”と呼べば、“はい”と駆けつける。心筋梗塞で倒れてからも、自宅に人を招いていましたが、俊子さんはお茶とケーキを出すと、すっと姿を消してしまう。“渡哲也”としての会話に入り込もうとしたことはありません」(前出・知人男性)

 意外だが、そんな俊子さんを渡さんは頼りにしていた面もあるという。

「会見や取材で何を話そうか迷ったときには、俊子さんに電話をかけて相談していたこともありました。決して前には出ないけれど、持ち前の明るい性格で、家庭を常に前へと引っ張っていた存在でしたね」(前出・知人男性)

 ただ、俊子さんは夫が銀幕のスターであることは許容できても、石原裕次郎さんの後継者で居続けることには、疑問を抱いていたのかもしれない。何より、渡さん自身がそう考えていた。石原プロ関係者はこう振り返る。

「『おれが死んだら、石原プロは終わり』。それが裕次郎さんの遺言でした。ですから、渡さんとしてはその遺言を守りたかった。ところが、そうしてしまうと、相続税の支払いで苦しむまき子さん(裕次郎さんの妻)を見放すことになる。当時は銀行から8億円近くの融資を受けたばかりで、その返済も大きな問題になっていましたからね」

 そこで渡さんは、裕次郎さんとの約束を先延ばしにした。ひとまずは自らが新しい看板となって石原プロを存続させることにしたのだ。

「当時まき子さんはまだ50代。渡さんとしては、まき子さんと石原プロの幹部の生活を守らなければ、という気持ちが強かったのでしょう。それだけに、すべてを背負いすぎているようで、渡さんを見ていてつらかったですね」(前出・知人男性)

 裕次郎さんが鬼籍に入ったのち、自らの人生を諦め、“滅私奉公”を貫いた。その時間、実に33年の長さである。

「渡さんは『いい年をして刑事ドラマが本当にいいのか』と、石原プロで演じる役柄と、自分のやりたい役柄とのギャップに違和感を覚えていました。その苦悩を、俊子さんが知らないはずがない。裕次郎さんの後継者としての期待に応えるがあまり、俳優・渡哲也として独自の道を歩めない夫を、歯がゆく思っていたのは確かです。渡さんを自由にしてあげてほしい、というのが俊子さんの本音だったでしょう」(映画関係者)

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「そのとおり。ぼくは特別な道を歩んできたとは思っていません。大人になったら自分のことは自分でしましょうという当たり前なことを実践してきただけなんです。ただし人間の成長の度合いとか速度というのは千差万別。ですから、自立して生きていくことの大切さに気づくタイミングも、人それぞれでいいのかなって思います」

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