https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

建設現場で働いていた元作業員たちが、建材のアスベストを吸い込み、肺がんや中皮腫などの病気になったとして、国と建材メーカーに賠償を求めた集団訴訟は、平成20年から全国の裁判所に相次いで起こされ、原告は1200人余りに上っています。

このうち、横浜、東京、京都、大阪の4つの地裁に起こされた裁判で、17日、一連の集団訴訟では初めて、最高裁判所が判決を言い渡し、第1小法廷の深山卓也 裁判長は「国は、昭和50年にはアスベストを使う建設現場に危険性があることや、防じんマスクを着用する必要があることを指導監督すべきだった。アスベストを規制しない違法な状態が昭和50年から平成16年まで続いた」と指摘し、国の賠償責任を認めました。

個人で仕事を請け負ういわゆる「一人親方」についても「人体への危険は労働者であってもなくても変わらない。労働者にあたらない作業員も保護されるべきだ」と指摘し、国の責任を認めました。

また、一部の建材メーカーの賠償責任も認めましたが、メーカーごとの責任の範囲や賠償額については、高裁で審理し直すよう命じ一部の原告はさらに裁判が続くことになりました。

アスベストによる健康被害をめぐっては、建設現場で働いていた500人から600人が毎年アスベストが原因の病気で労災認定を受けていて、健康被害を訴える人は増え続けるとみられています。

判決後の会見で、原告の弁護団長は最高裁判決を受けて政府が示す和解案を受け入れる方針を明らかにし、被害者の救済が前進することになりました。

アスベストは、安価で軽量であるうえ、耐火や断熱、防音にすぐれているという特性があり、かつては建材や摩擦材など、さまざまな製品として使用されていました。

中でも多かったのが建材として使われたケースで、1950年代から使用が広がり、高度経済成長期のビルの高層化や鉄骨化に伴って、多く使われるようになりました。

独立行政法人環境再生保全機構」によりますと、1970年代から90年代にかけては、年間およそ30万トンという大量のアスベストが輸入され、使用のピークを迎えていました。

一方、アスベストは非常に細い繊維からなっているため、それを吸い込んでしまうと肺の細胞に沈着しやすく、変化しにくい特性ゆえに細胞の中に長くとどまることになり、肺がんや中皮腫などの病気を引き起こすことがあります。

アスベストを吸い込んでから発症するまでの潜伏期間は10年以上で、長い場合は50年というケースもあることから、アスベスト健康被害は「静かな時限爆弾」と呼ばれるようになりました。

アスベストをめぐっては、1975年に吹きつけ作業の原則禁止やメーカーや事業者にアスベスト建材への警告表示の義務づけ、1995年に事業者に防じんマスクの着用を義務づけるなど、徐々に規制が強化され、2006年にアスベストの製造や使用などが全面的に禁止されました。

ただ、アスベストが大量に使用されていた時代に建設現場で働いていた人たちの中で病気を発症する人が増えていて、今でも毎年、500人から600人が新たに労災と認められています。

さらに、当時建設された建物の老朽化が進んでいることから、これからアスベストが使われた建物の解体が増えて被害者はさらに増加するとみられています。

一方、アスベストを扱う工場における、いわゆる「工場アスベスト」の被害をめぐっては、2005年に兵庫県の大手機械メーカー「クボタ」の工場周辺の住民などのアスベストによる深刻な健康被害が相次いでいることが明らかになりました。

これを踏まえて2006年、被害を救済するための法律「アスベスト健康被害救済法」が施行されました。

また、アスベストを扱う工場で働き健康被害を受けた人たちが国を訴えた裁判では、最高裁判所が2014年に排気装置の設置を義務づける国の規制が遅かったと判断して賠償を命じる判決を言い渡し、この判断に基づいて現在は和解手続きが進められています。

13年に及んだ裁判で被害の実情を訴え続けてきた1人、神奈川県平塚市高橋静男さん(79)。

建設会社で働いたあと独立し、個人で仕事を請け負う「一人親方」となり、住宅のリフォームや公共施設の改修などの現場で30年余り、大工として働きました。

当時の現場について高橋さんは「断熱材を取り付けるために電動のこぎりで切断したりやすりをかけたりしたが、そのたびに大量の真っ白い粉が吹雪のように舞い上がりたくさん吸い込んでいた。当時はアスベストの危険性も知らなかったし保護マスクなんかしていなかった」と振り返ります。

50歳ごろからかぜでもないのにせきやたんが出るようになり、64歳の時にアスベストが原因で肺が線維化してしまう「石綿肺」という病気だと診断されたということです。

肺から酸素を十分に取り込めないため24時間、鼻につないだチューブから酸素を吸入して生活しています。

高橋さんは「家の中で静かにしていてもせきが出て苦しくなるときがあり、体を丸めて症状が収まるのを待つしかない。外出にもボンベが必要で趣味の釣りや旅行にもなかなか行けなくなった。老後の楽しみを奪われ本当にくやしい」と話していました。

そして17日、高橋さんは最高裁の前で判決を待ちました。

午後3時半すぎに弁護団から勝訴を知らされると、支援者と固い握手を交わして喜びを分かち合いました。

高橋さんは「全面的に勝ったのと同じなのでみんなに『勝ったぞ!』と報告したい。ここまで来るのは本当に長かった。この13年で裁判に訴えた7割以上の方が亡くなってしまった。これからも既存の建物の建て替えが終わるまで被害は続く。国には被害が出ないようにしてもらいたいし、裁判やらなくても救済される仕組みを作ってほしい」と話していました。

最高裁判所が国や建材メーカーの賠償責任を認めた判断を確定させたことを受け、建設アスベスト訴訟の弁護団は去年12月とことし3月、電話相談を実施し合わせて155人から相談が寄せられました。

相談を寄せた人の年齢は詳細を聞き取ることのできた123人のうち116人、率にして94%が60歳以上でした。

また、労働者として働いていてアスベスト健康被害を受け、医療費や療養費の補償が受けられる労災の認定を受けた人は12人、工場周辺の住民や一人親方など被害者が労働者以外の場合に補償が受けられるアスベスト健康被害救済法の認定を受けた人は1人でした。

弁護団は相談内容を把握できた136人のうち123人、率にしておよそ90%は労災の申請などをしていない新たな被害者の可能性があるとしています。

相談を寄せた80歳の男性は一人親方として建設現場で長年働いてきて、10年ほど前から肺の病気を患っていたものの、これまでは病気がアスベストによるものだという自覚がなく、電話相談をきっかけに救済法の申請をすることを検討しています。

申請のサポートをしている労働組合の「東京土建江戸川支部」の藤井文理さんは「発症までが20年から30年と長いので、病気を発症したとしてもそれがアスベストによるものなのかどうか分からないという方が多くいると考えています」と話していました。

電話相談を実施した弁護団の佃俊彦弁護士は「潜在的アスベストの被害者は非常に多くいるのではないかと懸念しています。国や建材メーカーが建設アスベストの被害にどのように向き合って、どのような解決の方向を打ち出していくのか早く明確にするべきだ」と話していました。

田村厚生労働大臣は談話を発表し「最高裁判所の判決により国の責任が認められたことについて重く受け止めており、国に責任があると認められた原告の方々に対しては責任を感じ深くおわび申し上げる。判決を踏まえ適切に対応したいと考えている」としています。

そのうえで「このほかの係争中の原告との早期和解や未提訴の被害者などに対する補償について与党でも検討いただいており、厚生労働省としてもできるかぎり早期の解決に向けてしっかり対応したい」としています。

公害の法的な問題に詳しい立命館大学の吉村良一 名誉教授は「国の責任について最高裁判所がいわゆる一人親方も含めて明確に認めたことは、多くの被害者の救済につながり大変意義が大きい」と話しています。

そのうえで「判決によって国の責任の範囲が明確になり、救済の在り方の議論もようやく本格的にスタートできると思う。また、建材メーカーについても個別の事情はあるにせよ責任があるということはすでにはっきりしている。多くの被害者を一刻も早く救済するため政府は今後、建材メーカーも含めた救済の在り方について法整備を進めていく必要がある」と指摘しています。

建設現場で建材のアスベストを吸い込んで肺がんや中皮腫などの病気になったとして、元作業員らが健康被害を訴えた集団訴訟で、最高裁判所は17日、国と建材メーカーの賠償責任を認める判決を言い渡しました。

これを受けて自民・公明両党の作業チームは会合を開き、各地で別の集団訴訟の審理が続いていることも踏まえ、訴訟の早期解決に向けた救済策をまとめ、原告側と確認しました。

救済策では訴訟が続いている原告に対し、国が症状などに応じて最大1300万円の和解金や、長期間にわたる訴訟の負担を考慮した解決金を支払うとしています。

また、訴訟を起こしていない被害者にも和解金と同じ額の給付金を支給するための基金議員立法で創設するとしています。

これを受け政府は、与党の救済策に基づき訴訟が続いている原告に最大で1300万円の和解金を支払う方針を固めました。

菅総理大臣が18日にも原告団と面会し、こうした方針を伝えることにしています。

判決後の会見で弁護団長の小野寺利孝 弁護士は、政府が被害者に和解金を支払う方針を固めたことについて「最高裁判決が突き動かした政治的な大きな到達点だ。全面的な解決に向けた大きな第一歩が実現した。国と早期に和解し、まず国による補償のシステムを構築し、裁判を起こさなくても救済される制度を実現したい。あすの面会では菅総理最高裁判決を受けた国としての真摯(しんし)な謝罪をしてほしい」と述べ、国との和解を受け入れる方針を明らかにしました。

作業チームの座長を務める自民党野田毅自治大臣は会合のあとの記者会見で、訴訟を起こしていない被害者にも給付金を支給するための基金の創設について「具体的にできるだけ早く被害者の手元に届くようにするためには今の国会で議員立法による裏打ちをしないといけない。与党として汗をかき野党にも協力してもらいたい」と述べました。

一方、原告が提案していた建材メーカーからの基金への拠出について「メーカーにヒアリングをした結果、今回拠出を求めるのは難しいが、これで終わりではなく引き続き作業チームとして真摯に取り組みたい」と述べました。

#法律