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 土光は当時すでに84歳。不可能と思われた行政改革を成し得たのは、“人柄”あってのことだった。

「ボロ家に住み、家には暖房もなく、新聞記者が冬に訪ねると風邪を引いて帰ってくる。いつもよれよれの背広を着て、朝6時半に家を出て7時半には出勤していた」(同前)

 周囲からは「質素ぶっている」とも見られており、実は居林氏も最初はそう思っていたという。だが、違った。

経団連の会長時代に知ったのですが、私学振興財団の寄付者の筆頭が土光さんだったのです。毎月10万円くらいを生活費として、あとはそっくり寄付していた計算になる。私は行政改革をやるには土光さんの清貧ぶりを広く知ってもらうほうがいいと思い、NHKの記者に『土光さんがメザシを食うから撮ったらどうか』と話しました」(同前)

 土光は「公私混同だ」と言って憤慨したが、居林氏の説得で「一度きりだぞ」と承諾。食事風景をカメラが捉え、「メザシの土光」が全国に知れ渡ることになった。

「この“メザシ”が官僚や政治家の心を動かした。“この人が言うならしょうがない”と支持が集まり、80年代後半の国鉄電電公社の民営化へと結実していく。80歳を過ぎてやったんだから驚くべきことです。でも、当時の土光さんには、メザシでも贅沢だったんじゃないか。普段は肉も魚もほとんど食べず、自分で畑をやって芋やトマトを作っていましたから」(同前)

 自らの信念「個人は質素に、社会は豊かに」を生涯にわたって貫いた。