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“事件”が起きたのは、開会式の終盤、陛下が開会宣言をされたとき。

 IOCのバッハ会長の紹介を受け、マイクの前に立った陛下が宣言を始めても、隣の菅首相はぼんやりと陛下とは別の方向を見やったまま。その奥の小池百合子都知事が目配せしながら席を立つと、それに気づいた菅首相も慌てたように立ち上がった。その様子は日本全国、いや、全世界に生中継された。

「今回の騒動には“不敬”という声まであがっています。お粗末だったのは、陛下のおことばの途中で立ち上がったこと。座って聞くのであれば最後まで座っていればよかったんです。陛下の宣言を立ち上がって聞くのか、それとも座って聞くのか、それすらコンセンサスが取れていなかったのでしょう。組織委員会や官邸側が真摯な気持ちで開会式に陛下をお迎えするつもりだったのか疑いたくなります」(皇室ジャーナリスト)

 組織委員会は開会式から4日後の27日、一連の騒動について、起立を促す場内アナウンスが流れなかったとし、「混乱が生じ、申し訳ない」と陳謝した。しかし、ある政治ジャーナリストは菅首相が皇室を軽んじていることの証左だ」と話す。

菅首相は皇室への思い入れの深い人ではないといわれています。東京五輪にしても、1年延期という前代未聞のことがあったのだから、『名誉総裁』を務められる天皇陛下宮内庁にはとりわけ、方針や進捗を細やかに報告しつつ、調整しながら進めるべきでした。

 しかし、陛下のご意見を賜るどころか、まったく説明もせず、いわば“放置”してきました。配慮のカケラもなかった。だから、開幕直前までゴタゴタが続き、“陛下が開会式のスタジアムにいらっしゃらないかもしれない”という緊急事態まで引き起こしたのです」

「亀裂」が表面化したのは、五輪開幕1か月前の6月24日、西村泰彦宮内庁長官の「拝察」発言だった。西村長官は五輪開催について、陛下が「新型コロナウイルスの感染拡大につながらないか、ご懸念されていると拝察している」と発言し、反響が広がった。実は、官邸にとって寝耳に水だったという。

菅総理は西村長官の発言に“なぜあんなものが出るんだ”と仰天していたといいます。それまで菅総理は、“両陛下は当然、要請に応じて五輪に出席されるもの”と安易にタカをくくっていたので、このとき初めて陛下の五輪への疑念に気づいたのでしょう」(官邸関係者)

 それまで、「菅総理が両陛下の五輪出席を巡って議論や検討をしているのを聞いたことがなかった」(別の官邸関係者)という。つまり、このときにやっと菅官邸は事態の深刻さに気づき、大慌てで、陛下の五輪出席に向けた調整に踏み出したのだ。そもそも陛下の疑念が表に出ざるを得ない「布石」もあった。

「拝察」発言の2日前、菅首相の姿が皇居・宮殿にあった。陛下に対して国政について報告する「内奏」のためだ。その日のテーマの1つが東京五輪だったという。

「当時は菅総理が有観客での開催に強くこだわっていたので、陛下は五輪における感染対策について総理に確認されたはずです。しかし、具体策なき“安心安全”を繰り返すばかりの総理が、陛下が納得される説明をしたとは到底思えません。

 また、当然のように“陛下も雅子さまも五輪の行事には全部出てください”“外国からの賓客の接遇も全部やってください”と伝えた可能性すらある。陛下は、それまでも五輪の方針や進捗について何も知らされずにいたことに違和感を持たれていたであろう上に、そうした内奏での首を捻らざるを得ないようなやり取りがあって、一気に陛下の疑念が頂点に達したからこそ、長官の『拝察』発言につながったのでしょう」(前出・官邸関係者)

 そこまで「溝」が深くなってしまっていた以上、両陛下の五輪への参加の調整がスムーズにいくはずがなかった。

宮内庁は陛下をお守りする立場として、菅官邸に不信感が強かった。一部には、“具体的な感染対策がとられない以上、陛下は開会式で会場を訪問されず、リモートで参加される手段もあり得る”という強硬な意見もあったようです。

 しかし、菅首相としては、各国首脳やバッハ会長ほかIOC幹部が会場入りするのに、陛下がリモート参加では面目も丸潰れです。それだけは絶対に避けたいとなった。なんとか陛下にスタジアムにお越しいただくために、水面下ではギリギリの調整が進められたようです」(前出・政治ジャーナリスト)

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