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#天皇家

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その上で、忘れてはならないのは、

翌慶応四年五月十日に出された新政府の太政官府が発した

戦死者の慰霊に関する布告「御沙汰書」だ。

これは明らかに、

明治天皇の口述による新政府に対する御指図によるもので、

次のように始まる。

「大政御一新の折柄、賞罰を正し、節義を表し、

天下の人心を興起遊ばされ度、

既に豊太閤・楠中将の精忠英邁、御追賞仰せ出され候。」

そして、以下、

若き十七歳の明治天皇が、明らかに

目に涙をたたえられて語られたままに記されている。

「天下に魁けして国事に斃れ候諸士

及び草莽有志の輩、冤枉罹禍の者少なからず

・・・親子の恩愛を捨て、世襲の禄を離れ、墳墓の地を去り・・・

尚況んや国家に大いなる勲郎あるもの、

いかでか隠滅に忍ぶべけんやと嘆き思し召され候。」

「之に依りその志操を天下に表し、

かつ忠魂を慰められたく、

今般、東山の佳域に祠宇を設け

右等の霊魂を永く合祀致さるべき旨仰せ出され候。」

この「「御沙汰書」に表明された明治天皇の思いが、

楠木正成と一族自決の場所の湊川神社創建に連なり、

東京九段の招魂社、後の靖國神社創建に至る。

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森信三先生は、言われた。
人生で逢うべき人には必ず会える。
一瞬遅からず、一瞬早からず,と。

私は、その時、司法試験受験生だった。
そして、何度目かの読書会の後、
森信三先生と二人きりでエレベーターに乗ることになった。
その時、
森信三先生はズバリと前置きなく私に言われた。
「あなたは、司法試験に合格しませんよ」
と。そして、
「あなたは、多角的な関心を持たれている。そのような人は、
重箱の隅をつつくような司法試験には合格せんのです」
と続けられた。

西村眞悟FBより